四年生引退ブログ

2025.11.25

チアリーディング部Y.K

こんにちは。本年度器材管理責任者及びステージ企画責任者を務めております、チアリーディング部4年のY.Kと申します。

 

まずはこの一年間、弊部の活動にご支援、ご尽力いただきました皆様に感謝申し上げます。

この4年間、本当に多くの方々に支えられて参りました。拙い文章ではございますが、これまでの感謝の想いをこちらに綴らせていただきます。書いている間に沢山の思い出と感情が蘇ってきて、気づけば大変な長文になってしまったので、読んでもいいよという方がいらっしゃいましたら最後までお付き合いいただけますと幸いです。

 

私はずっと、【人生で何か一つのことをやり遂げたことがない】ことがコンプレックスでした。

習い事も、勉強も、部活動も、できない理由を見つけては逃げてしまう。意志が弱く、粘り強さもなく、特に大きな挑戦もせず生きてきた自分がずっと情けなくて嫌いでした。本当は “一生懸命頑張る人” に憧れていました。

だからこそ大学では、厳しい環境に飛び込んで、苦手なことに挑戦し、4年間やり切る。そして自分を変えたい。そう心に決めていました。

そんな時、オープンキャンパスでたまたま應援指導部の先輩を目にし、「これだ!!」と思いました。一目惚れでした。極度の運動音痴である自分が一番避け続けてきた体育会系の部活。その中でも一番精神的にも体力的にも厳しそうな部活。(衣装が可愛い、というちょっぴり不純な理由もありましたが笑)今まで遠ざけてきたものが、この部には全部詰まっていて、だからこそ挑む価値がある。他にも体育会の部活はあるのに、なぜかその時の私は「ここで四年間やり切ったら自分を変えられる」直感でそう思いました。

「応援が好きだから」

「誰かの力になりたいから」

「踊りが好きだから」

そんな皆みたいな素敵な入部理由ではありませんでした。ただダメな自分を変えたい、そんな理由でした。ごめんなさい。

でも、私にとって應援指導部は、人生で初めて勇気を出して踏み出した大きな一歩でした。

 

さて、應援指導部に入ると決めてからの私は、目覚ましの音は若き血、登校中は塾歌を聴き、勉強の合間には應援指導部のYouTubeを見漁る毎日を過ごし絶対にここに入るんだ!と受験勉強に励みました。そして、無事慶應に合格。念願の應援指導部に入部届を出しました。親にも友人にも笑われると思い言い出せずひっそりと入部したので、應援指導部に入ったと言った時はみんな運動音痴の私をひどく心配したと思います。笑

そして迎えた一年目。晴れて入部したはいいものの、その一年は想像を遥かに超える試練の連続でした。

部活をろくにやってこなかった私は、上下関係も礼儀もわからず、仮入部初日には「動きやすい格好で」と言われ、当時の私にとって“最高級に動きやすい格好”だった miumiuのキラキラのスニーカーとDiorの鞄 で登場。いまだに同期にいじられるほど浮きまくりのスタートでした。笑 先輩からすればどうしようもない一年生だったと思います。笑

練習が始まれば、身体が硬すぎてストレッチすら苦行。みんなが普通にできる技が私だけできない。踊ればふにゃふにゃの仕上がり、振り覚えも悪い。レベルの高い同期の中で、私は明らかに大きく遅れをとっていました。

ただ「絶対に諦めない、逃げない、自分を変えてやる」というやる気と体力だけは誰よりもありました。授業と部活以外の時間は全てチャンスパターンの練習に費やしました。本当に全ての時間です。とにかく周りに追いつくために必死でした。

この一年は後にも先にも恐らく人生で一番辛くて苦しい一年だったと思います。でも、みんなでzoomを繋いで練習したり、ヒーヒー言いながらマット運びをしたり、夜中まで動画のアップロードに苦戦したり、皆んなでほぼ徹夜で準備して慶早戦に行きエール中眠気と戦ったり、女の子が持つ量じゃない量の器材を両手に持ち大雨の中歩いたり、思い返せば同期に沢山支えられ、同期との素敵な思い出に溢れた一年でした。みんながいるから頑張れたしみんながいたから本当に苦しかったけど本当に楽しい一年でした。

何もかもが新鮮で、とにかくがむしゃらに走り抜けた一年間でした。

 

そして二年生。

いっっぱい自主練習をして、沢山自分の魅せ方も研究した分、踊るのにも自信がついてきて、練習も応援も本当に楽しくなってきて…沢山部活をして沢山遊んだ、正直四年間の中で一番楽しい一年でした。笑 憧れの慶應キラキラライフを楽しんでいました。笑

そんな大充実した二年生の一年間でしたが、その中で私の価値観を大きく揺さぶる “二つの転機” が訪れました。

一つ目は、定期演奏会です。幸運なことにこの定期演奏会で、大好きな先輩方と大好きな同期と一緒の基(スタンツを上げるグループ)になりました。毎回のスタンツ練習が、とにかく楽しくて楽しくて…でも同時に自分の力のなさを痛いほど実感していました。

「この人たちのために絶対に成功させたい」「少しでも良いベースになりたい」

その一心で、毎日腕立て伏せ100回を始めました。なんだそんなことかと思われると思いますが、自分の中ではとても大きな変化でした。正直それまではとにかく怒られないように練習をこなし「チームのマイナスにならないように」と精一杯だった私が、初めて「チームのプラスになる存在になりたい。そのために努力しよう」と思った瞬間でした。難しい技も沢山上げて、スタンツへの苦手意識も払拭し技術的にも気持ち的にも沢山成長できた時期でした。

そして二つ目の転機が、塾旗チームへの参加です。定期演奏会を終えた冬、ふと私は「私はこの部の“プラス”になれているのだろうか?」と考えたことがありました。

“自分を変えたい”というとても自分本位な理由で入部してしまったけれど、これって他の人にとっては迷惑な存在なのでは?みんなは上手なダンスや応援、演奏でチームを支えているのに、私は部にとってプラスな存在になれていないのでは?私はただ自分のことで精一杯なのではないか、そう思いました。そんなとき大親友の同期Y.Nが誘ってくれて塾旗チームに入ることを決めました。

應援指導部は再建活動を経て、女子部員も塾旗を上げられるようになりました。これは大きな前進である一方で、裏返せば女子部員がいなければ、「昔と同じ体制だ」と見なされ、部の存続が危ぶまれる可能性さえある。だからこそ、塾旗は女子部員の力が本当に必要とされる場所でした。さらに当時の塾旗チームは、全員が出てやっと慶早戦で四旒を上げられるほど、ぎりぎりの人数でした。だから、ここに入れば“私もこの部に少しでも貢献できるかもしれない”そう思いました。この想いは誰にも言っていなかったので、同期はこんなに私が深く考えて塾旗チームに入ったとは誰も思っていないでしょう。笑 塾旗チームに入っていた他の同期はみんな一年生から二年生に上がる春から始めていたので、これまた私だけ一年遅れでのスタートでした。おしゃべりな私に私語厳禁の塾旗練習は辛かったし(笑)、不器用で適当な性格の私には塾旗を丁寧に結ぶのも難しかったし、なかなか身体の使い方が上手くない私には掲揚もとっても難しいものでした。それでも見捨てずに指導してくださった先輩方、そして同期のおかげで四年の最後の慶早戦では掲揚の機会を貰いました。憧れのペンマークが輝くベルトをつけて神宮で塾旗を掲揚できたあの瞬間は一生忘れません。その後ベルトを外していると1人の観客の方が「あなたが塾旗上げてたの?女の子でやるなんて凄いね、凄いことだよ。みんなの誇りで憧れだよ。」そう声を掛けて下さりました。塾旗チームへの参加を決めた時に誓ったように、少しでも部に貢献できたのかもしれない、そう思えました。

旗手長のK.T、最後の最後に掲揚の機会をくれて本当にありがとう。

 

さて、塾旗について語りすぎてしまいましたが、ここからは三年生になってからの一年間を振り返りたいと思います。

大親友のY.N以外の同期には話していませんでしたが、実は三年生の時退部しようと思っていました。部内の人と考えや生き方が違うなと思ったこと、部活を辞めて全力で追いかけたい夢があったこと、人間関係のあれこれ…正確には覚えていないのですが、何か一つの明確な理由があった訳ではなかったと思います。何か急にプツンと糸が切れたように今まで我慢していた感情が溢れてきて、止まらなくなって、どうしようもなくなって、六本木のカフェでノートに感情をばーっと書き出しながら涙が止まらなくなった日がありました。地元の親友は「精神をすり減らして色々な感情を我慢しなければならない環境を抜けるのは逃げじゃない。」と言ってくれ、大親友の同期Y.Nは「辞めるなら一緒に辞める!!」そう言って一緒に泣いてくれました。

「部活をやめようと思う。」

母親にそうLINEを送りました。

「そんなに我慢して苦しい思いをするならしたいようにすれば良いと思うよ。だけどもう戻れないよ。」そう返ってきました。分かっていました。誰よりも自分が一番分かっていました。“やり遂げて自分を変えるため” に入った部活を、ここで辞めたらまた元通り。結局、何も変われないまま終わってしまうんじゃないか。でも、それでももう限界でした。いつも周りが快適に過ごせるように自分が我慢すれば良い、そのために嫌なことがあってもずっとヘラヘラ笑ってやり過ごす性格でしたが、それがもうできそうにありませんでした。三田キャンパスのお手洗いでひとり、声を押し殺して泣きました。

けれど、退部する勇気も出せないまま、気持ちを持て余したまま夏休みに入りました。少し時間ができて、改めて「なぜ入部したのか」をゆっくり考える余裕が生まれました。そして私は、もう一度この部活と向き合ってみようと決めました。今振り返れば、あの時踏みとどまって本当に良かった。心の底からそう思います。

そんなこんなで最初から波乱の幕開けだった三年生ですが、素敵な思い出も沢山ありました。一番は水泳サブをしたことです。水球部がペナルティーシュートアウトで劇的四連覇を決めた水上競技大会、葉山-伊東65kmの遠泳を達成した部員を砂浜で塾旗を上げて迎えた葉山応援。本当に沢山の素敵な景色を見せてくれた水泳部には感謝しかありません。水泳部の皆様が最大限の力を発揮できる応援をするべく沢山準備を重ねた時間は本当に幸せでした。生まれ変わっても必ず水泳サブになりたい、そう思うくらい水泳サブになって良かったと本当に本当に思います。

 

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さぁ、そんなこんなで気づけば四年生になっていました。

四年になれば楽になる。下級生の頃はずっとそんなふうに考えていましたが、全然そんなことありませんでした。笑

四年生は、背中で示さなければならない学年であり、お手本であるべき学年。どう振る舞うべきか悩む日々でした。「四年なのにできていない」と思われないように、応援や練習はもちろん、普段の生活から自分を律し続ける必要がありました。ポンコツな私には、想像以上に大変でした。笑

私は、後輩にとってはとても“安牌な先輩”だったと思います。笑 同期の中には先輩として舐められてはいけないと考える人もいると思います。でも、私は舐められる先輩が一人くらいいても良いんじゃないかと思っています。私はダンス未経験・運動神経皆無で入部したので人一倍怒られる機会が多くありました。笑 入部当初は全員が怖い存在(愛のあるご指導だったと思っております。笑)に見えていたからこそ、優しい先輩が一人でもいるだけで神様に見えました。笑 優しい先輩のありがたみを誰よりも感じていました…笑 だからこそ私は、【絶対に怒らない優しい先輩になろう】そう一年生の頃から決めていました。

更にもう一つ心に決めていたことがあります。【一人ひとりの頑張りを見てあげる先輩】になろうということ。一年生の時、ダンスを必死に練習して、でも誰も見てないし変化に気づいてはくれないだろうなぁと思っていた時に「本当にダンス上手くなったね」と言ってくださった先輩がいらっしゃいました。見てくれてる人がいるんだ…とその一言が嬉しくて嬉しくてもっともっと頑張れました。だから、次は私が「後輩それぞれの頑張りをしっかり見て気づいてあげられる先輩」でいようと思っていました。

ダンスが苦手でも努力を重ねて上手くなった子、二年生になり初めて一年生のチェックを担当する時に一年生が緊張しないよう笑顔で向き合う子、トップとして必死に努力を続ける子…この部には、人数分の「努力の形」があって、みんながそれぞれのやり方で頑張っています。

そのことが、何よりこの部の素敵なところだと思います。

一番前に立って厳しく引っ張っていくような先輩ではなかったし、練習中皆んなが張り詰めてるなと思ったらここぞとばかりに面白いことを言って笑わせることくらいしかできなかったけれど、自分なりにチームを裏の裏の裏の裏から小さく支える先輩になろうと奮闘した一年でした。

 

さて、色々と語ってしまい長くなってしまいましたが、結論私はこの部に入って良かったと心の底から思います。本当に楽しかった。

もちろん上述したように沢山きついことはありました。正直毎年10回くらいは辞めたいと思う瞬間もありましたし、もし應援指導部に入っていなければ出来ていたこと・使えていた時間も沢山あったと思います。

それでも、生まれ変わったら私はもう一度この部に入ると思います。苦しいことは沢山あったけれど、その分この部に入れなければ見られなかった沢山の素敵な光景を見せてもらいました。一生忘れない景色を見せてくれた体育会の皆んな、先輩、後輩、同期、そして支えてくれた家族、友人には本当に感謝しています。本当に本当にありがとう。

 

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同期へ。

本当に本当に本当にありがとう。この学年で良かったとこの同期で良かったと何回思ったか分かりません。

一人ひとり個性が強くて、でもみんな趣味が似てて、気づいたらいつも全員で集まって爆笑してて、会っていない日もしょうもないスナチャを何十件も送りあって、一日会わないだけで久しぶりに感じて、本当に家族のような存在でした。人数が少ない分、皆んなそれぞれの場所でいつも何かしら働いてて、それがすごく励みになっていたしそんな同期が本当に誇りでした!何をやってもポンコツな私に痺れを切らさず付き合ってくれてありがとう!一生大切にします!引退後初めてみんなで踊るのは誰の結婚式かな?笑 司会は任せてください。

 

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いつも応援席にお越しくださる皆様、體育会の皆様、関係者の皆様、そしてOB・OGの皆様。平素より弊部の活動に多大なるご支援とお力添えを賜り、心より御礼申し上げます。

応援がなくとも試合は成立します。だからこそ私たちは、誰よりも勝利を信じ、誰よりも選手を信じ、全力で声を届けて参りました。

私個人としては、應援指導部は様々な体育会の応援に伺いますがどの試合も私たちにとっては数ある試合の一つでも、その体育会の皆様にとっては“人生を懸けた一試合”であることを常に胸に刻み、応援に取り組んできました。正直、「応援は本当に力になっているのだろうか」と不安になることもありました。しかしそのたびに、「応援の声、めっちゃ聞こえてた!ありがとう!」「応援のおかげで元気が出た!」

そう声をかけてくださる皆様の存在に、私たちが励まされてきました。応援する立場であるはずの私たちが、いつのまにか皆様から大きな力をいただいていました。

皆様からの温かいご声援とご支援があってこその應援指導部です。

改めて、心より感謝申し上げます。

そして今後とも、変わらぬご支援とご声援を賜りますよう、何卒よろしくお願い申し上げます。

 

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家族へ。

沢山支えてくれてありがとう。偏差値20のおバカが櫻井翔くんを追いかけて慶應を受験すると言い出した上に、運動音痴なのに應援指導部に入ると言い出すなど、沢山振り回し迷惑もかけました。ごめんなさい。笑

忙しくてなかなか連絡返せなかったり、なかなか帰省もできなかったけれど、いつも應援指導部のインスタをチェックしてくれたり、神戸から来てくれて家を片付けてくれたり、大量のパックごはんを送ってくれたり、慶早戦では毎回嬉しそうに全身慶應グッズを身に纏って応援しに来てくれてありがとう。(保護者席でそんな格好の人はいないので本当に恥ずかしかったです)定期演奏会は子育ての締めくくりでもあるので、全力で感謝を伝えるステージにします!

p.s.一年生の慶早戦の後、わざわざ神戸から見に来てくれて、久しぶりに会えて、更に銀座のカウンターのお寿司屋さんを予約してくれていたのに、急遽ミーティングが入り味わう暇もなく爆速で握ってもらい爆速で平らげてゆっくり家族時間を過ごせなかったのはずっと申し訳なく思っています。笑 社会人になったら私が銀座のお寿司をご馳走するので、その時ゆっくり家族時間を過ごしましょう。

 

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後輩のみんなへ。

こんなポンコツな先輩についてきてくれてありがとう。

一人ひとりの個性が強くて、まっすぐで、熱い想いを持った一年生。一年間器材活動や練習準備など大変なことが沢山あったと思います。みんなの支えがあって初めてこの部の活動は成り立ちます。本当に本当にありがとう!そしてお疲れ様!これから色々厳しいこともあると思うけれど、みんなで力を合わせて頑張っていってね!!

可愛くて、明るくて、才能溢れる二年生。いつも練習を明るく引っ張ってくれてありがとう!二年生は私達の代と似ていると思います。笑 みんな元気で仲良くて良い意味で友達感が強いところが素敵なところだと思います!来年サブイヤー大変だと思うけど、みんなそのままキャピキャピギャルで頑張ってほしいです!!笑

しっかり者で努力家な三年生。ずっと私たちと活動してくれてありがとう!かなりダメダメな先輩だったと思うけれど、呆れずについてきてくれてありがとう!しっかり者のみんながいたから安心して業務を行うことができました!来年はなんの不安もありません!部を託します!

先日のミーティングで少し話したように、私は一・二・三年生一人ひとりのことを考えてC&Rステージを作りました✨みんなが最高に輝けるステージになりますように。

 

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最後に、同期で大親友のY.Nへ。

ずーーーーっと一緒に過ごしてくれてありがとう。正直Y.Nがいなければとっくに部活を辞めていたと思います。こんなに気があってしょうもないことで笑い合える最高な人に出会えるとは正直思っていませんでした。Y.Nに話してないことは多分ありません。なんでも話せる本当に本当に大切な存在です。ここで何を書けば良いかわからないくらい感謝しかありません。悲しいことがあれば私より悲しんでくれて、嬉しいことがあれば私より喜んでくれて、毎日天然なボケで笑わしてくれて一緒にふざけてくれて私の話に笑ってくれて、、、とにかく本当に本当に感謝しています。出会ってくれてありがとう!私の人生になくてはならない存在です!これからも末長くよろしくお願いします!

 

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長々と色んなことを書いてしまいました…文才の無い私の文章にここまでお付き合いいただきありがとうございました。

この4年間は、人生の宝物です。

本当に本当に本当に幸せな4年間でした。

これまで支えてきてくれた皆さんへ恩返しできるよう、ステージ企画責任者として定期演奏会最高のステージにできるよう最後の最後まで走り抜きます!

 

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