2024四年生引退ブログ

2024.11.15

チアリーディング部門Me.K

慶應義塾体育会應援指導部4年のMe.Kと申します。

 

1295日。應援指導部に入部をしてから、目まぐるしい速さで1295日もの時間が経ちました。

パソコンの前で正座をし、手に汗を握りながら上級生方に自己紹介をしていた私も最上級生になり、引退の日がもう目の前まで迫ってきています。

この4年間はあまりにも濃密で、言葉で表し切れるものではありませんが、お世辞にも器用とは言えない私が、この輝かしくも泥臭い場所で、何を思いながら過ごしてきたのかを書き記していこうと思います。稚拙な文章とはなりますが、是非最後までお付き合いいただけますと幸いです。

 

この4年間で、私も、部も、大きく変わりました。

入部当初はコロナ禍真っ只中。何が当たり前で何が当たり前でないのか、新しい世界に慣れることに必死だった当時の私は、あまりよく理解していませんでした。目の前の課題に精一杯で、一日をなんとか終えることがゴールで、そんなことに気付く暇がなかったという方が正しいのかもしれません。今になってようやく、仲間全員と顔を合わせて練習ができることも、選手の目の前で応援ができることも、お客様の間を縫って応援指導ができることも、恵まれていて尊い時間なのだと、当たり前なんかではないのだと痛感しました。

 

実は私は、應援指導部という場所が「応援」を使命とする部活であるにもかかわらず、応援への苦手意識を持ち続けていました。その気持ちは薄まることなく、むしろ試合を重ねるごとに色濃くなっていきました。応援には底知れない力があると信じつつも、自分のする応援に力などあるのかと不安や劣等感を抱く毎日。私自身の存在価値をどこにも見出せないまま、あっという間に1年が過ぎました。

 

情けない自分を変えたくて挑戦した応援指揮ツールと神宮演奏プロジェクト。2年生になったばかりの私がしたこの決断が、自分なりの応援とは何なのか、試合でどう立ち振る舞うのかを見出すきっかけになりました。挑戦すると決めた頃の私は、自分の存在価値を見つけたい、応援を好きになりたい、そんな自分勝手な気持ちに溢れていました。2年生の春の早慶戦では、もちろん緊張感も、責任感も感じてはいましたが、今となって振り返ってみれば、覚えたことをメイン台の上で間違えないようにこなそう、そんな甘えた気持ちがあったように思えます。本当に恥ずかしいです。

自分の浅はかさと傲慢さに気付くきっかけとなったのは、2年生で参加させていただくことが決まった六旗の下にと稲穂祭でした。六旗の下にではマイク人員として。稲穂祭では応援指揮人員として。4年生方が、應援指導部員の誰もが大切にしている舞台に携わらせていただきました。本番に向けて練習を重ねる度に、担う役の重みと、それに見合っていない自分にいたたまれなさを感じるようになりました。この舞台に立つべき偉大な存在を知りながらも、その足元にも及んでいない自分が立つという事は、申し訳なさと同じ分だけ、完璧以上でなければいけないというプレッシャーがありました。

引退を控えた今でもその気持ちは変わりません。私は私の事を、大勢の前で応援指揮を振るに相応しい人間だとは、きっとこの先も思えないと思います。それでも、そんな私を受け入れてくださる先輩方と、認めてくれる同期に恵まれました。私は自分自身を認めて誇ることはできませんでしたが、私の誇る先輩方と同期の気持ちを無碍にしたくはありませんでした。1試合の中で、踊りに応援指揮に楽器にと「がんばれ」を伝える手段を持ち替えることのできる「私にしかできない応援」をすることで先輩方と同期に報いよう、その一心でこれまで過ごしてきました。

 

應援指導部にいる誰もが葛藤ややるせなさを感じていて。その中でも懸命に、必死に、精一杯の応援をしようともがいています。その気持ちや背景は、言葉にはっきりとできなくても、きっと誰もが感じ取ってくれるものだと勝手に思い込んでいました。しかしYouTube で突然取り上げられた私の応援指揮の動画に「誰か」から寄せられた数々の言葉を見て、行動だけでは伝わらないものがあるのだと、世間からの理解、評価はこういうものなのかと絶望しました。私はそれがどうしようもなく悔しくて、たまらなく切なくて。どうしたら理解を得られるのか、どうしたら想いが伝わるのか、答えの見えない苦しさを抱えながら部の活動をしていた時期がありました。いつからか、悩んでいても心に響く応援は作れない!心を動かす素敵な応援がしたいんだ、純粋にその気持ちでぶつかろう!と思えるようになりましたが、そう切り替えられるようになるまで、かなりの時間をかけたと思います。

私が過去や今に囚われず、未来のための応援ができるようになったのは、いつも応援席に足を運んでくださるお客様たちのおかげです。これまで暖かく見守ってくださり、本当にありがとうございました。これからも應援指導部は、道を探しながら、時には切り拓きながら、進んでいくことと思います。今後も変わらず見守っていただけますと幸いです。

 

この4年間は自分に失望してばかりの4年間でした。無力さを痛感する出来事がいくつもありました。それでも、一度たりとも孤独感を感じたことはありませんでした。こんなふうになりたいと憧れられる素敵な先輩方がいて。落ち込んだ時には必ず手を差し伸べてくれるかっこいい同期がいて。悩んだ時にはこんなことで立ち止まっちゃだめだと思わせてくれる頼もしい後輩がいて。どんなに辛くても、どんなに逃げたくなっても、ここが居場所で頑張りたい場所なんだと、言葉で、背中で、励まし続けてもらいました。気が小さくて、頼りない私を見捨てず、底知れない愛情で接してくれた全員に、渾身のありがとうを届けたいです。

 

先輩方へ

よく言えば人懐っこく、悪く言えば生意気な私に、慈悲深く、暖かく接してくださり、本当にありがとうございました。いつまでも変わらず私の憧れです。先輩方にはやっぱり追いつくことはできませんでしたが、偉大さは後輩へ確りと語り継ぎましたので、今後の應援指導部に期待していただけますと幸いです。

 

同期へ

細かいことに口うるさいくせに、誰よりも自信がなくて頼りない、本当にめんどくさい私をいつも助けてくれて、常に私の目標でいてくれて、本当にありがとう。みんなと過ごした4年間は、この先の人生でも私を助けてくれるかけがえのない時間です。大好きなみんなとこの場所で出会えて本当によかった!みんなの同期でいられて本っ当に幸せだった!みんなの同期に相応しい人間になれたのかは未だに自信がないけど、、、同期全員がこれまでもこれからも、ずっとずっと私の自慢で1番尊敬できる人達だってことだけは自信ある!これからも末長くよろしくね。

 

後輩達へ

1人1人の存在に励まされてきました。ありがとう!みんなのアツさがあれば、きっといつか誰も葛藤を抱えない應援指導部を作れるし、心を動かす応援席が実現すると確信しています。どうか全員が最高の應援指導部ライフを送れますように!心から願ってます!

 

友人達へ

いつも無限の愛情で目一杯甘やかしてくれてありがとう。みんなの支えがあって4年間部活もプライベートも幸せいっぱいで過ごせました。数えるほどもないオフですぐ実家に帰ってばかりで、付き合いの悪い大学生活でごめんね。埋め合わせと恩返し、沢山させてください!

 

お母さんへ

1年生の頃から、ほぼ全ての試合に遠い実家から足を運んでくれてありがとう。女手ひとつで不自由のない生活をさせてくれた上に、試合の後はこれでもかってくらい甘やかしてくれて、美味しいご飯とおしゃべりに溢れてるお母さんとの時間が楽しくて仕方なかったよ。金食い虫でわがままで、言うことのひとつも守れない娘だったけど、4年間部活だけに夢中になって頑張れたのはお母さんのおかげ!!1番の味方で居続けてくれて、沢山助けてくれて、本当にありがとう。大好きだよ!

 

あと数えられるほどの日数で私の應援指導部人生が終わりますが、この場所で悩んでもがいて走り続けた日々と、その結果として見ることができた最高の景色は、私のかけがえのない宝物です。この時間と、この気持ちに恥じない人生にできるよう、今後も精進して参ります。4年間、決して短くないこの時間、私に寄り添い続けてくれた全ての皆様、本当にありがとうございました。

そして私!4年間よーーく頑張った!!!

 

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