2024.11.18
チアリーディング部門M.Y
こんにちは。
本年度チアリーディング部練習責任者(トレーニングチーフ)を務めさせていただきましたM.Yと申します。
名前順で回ってきたこの引退ブログもいよいよ同期最後となり、日々更新される皆の熱い文章にハードルが上がってしまっているのではないかと緊張しています。現在絶賛卒業論文の執筆に追われているのですが、こちらの方が今はスラスラ書けそうなので一旦卒論は後回しとさせてください。
拙い文章とはなりますが、最後までお付き合いいただけますと幸いです。
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高校3年生の冬、私は大学で應援指導部に入らない理由ばかりを探していました。周囲の人に大学でも高校同様チアを続けて應援指導部に入るんでしょ?と聞かれる度、「同じ応援歌を7年もやったら飽きちゃうよ」だとか「大学は人数も多いしそんな密な関係の仲間はできないと思う」等と今考えれば失礼極まりないことを言っていました。(ごめんなさい。)
開始早々とはなりますが、4年後の私からあの頃の自分へ、その答えを送りたいと思います。
Q.同じ応援歌/応援曲を7年踊って歌って来てどうですか?
A.全く飽きません。飽きるどころか無意識に家で口ずさんでいるくらいです(ソレイユ多め)。流れるだけで場の空気を一気に変える、曲の力の偉大さを実感する日々です。
Q.密な仲間はできないですか?
A.これまでどんなに苦しくても、どんなに他の道が輝いて見えても、踏み留まってここに4年居続けたのは、周りにいる心優しく熱く不器用で愛らしい、そんな同期が大好きだったからです。
新しく人間関係を築くことに臆病な私へ。大丈夫、かけがえのないものが増えるよ。
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上記は4年前の私の下手くそな逆張りでした。あの頃の私は、高校生活の全てだったバトン部での3年生ライフを新型コロナウイルスに奪われたやるせなさから、大学生活にも期待することができずにいたからです。しかし、幼少期の憧れとこのまま大好きなチアを終えるのは不完全燃焼だなという思い、家族の後押しもあり結局今に至ります。
高校時代踊ることが好きで始めたチアリーディングでしたが、いざ足を踏み入れると、目の前の人と忘れられない瞬間を共に作る熱い熱い世界が待っていて、大学で更に応援を追求したことで改めて”慶應の応援”の虜になりました。応援活動で得られた感情や学びは、自分の志を形作る確かな軸となっています。
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さて、応援活動に対する想いもまだまだ語りたい所ではありますが、やはり私は練習責任者として練習についてを綴りたいと思います。
1年生
オンラインから始まった練習ですが、毎日が新鮮で、新しいことを上級生から吸収しできることが増えていく、そんな日々が楽しくて仕方ありませんでした。しっかりと考えて組まれたメニューがあって、学年関係なしに指摘し合う環境があって。ここを選んで良かったな、この2.3.4年生についていけて幸せだなと感じたことをよく覚えています。
2年生
サブサブになり、当時の練習が2班体制だったこともあって練習の進行に微力ながら携わる機会をいただきました。その時初めて練習を進行する難しさを知ると共に、練習管轄の上級生に対する尊敬の念が強まりました。
3年生
サブでも練習管轄に加わり、本格的に日々のメニューやチームの雰囲気に向き合うようになりました。一緒にトレサブを務めてくれたY.Mと、毎日帰りの電車で「今日の雰囲気は良くなかった」「ここで決めきるためにどう言葉を掛けたら伝わるだろう」と練習のことばかり話していた時間さえも愛おしく感じます。スポーツサブやその他諸々の業務に追われ多忙な日々ではありましたが、自分たちが考えたことが形になる、それを主体的に行えるサブ代の部活動はやり甲斐に溢れたものでした。
4年生
自分の弱さと向き合った1年でした。こんなにつらつらと自分語りをしておいておかしな話かもしれませんが、私は自分の本音を人に伝えることが得意ではありません。この4年間で人前に立ち大きな声で話すことにも慣れ、その場に散らばった意見を集約したり、立場的に言うべきことを言う力はある程度育ち、言葉を褒めていただく機会も増えました。それとは裏腹に、こうなりたい・こうしたい、といった未来を描く力とそれを口に出す勇気を持てないことが自身の大きな弱みでもありました。
役割決めの時、同期に「M(私)がどうしたいのか、Mの意志が分からない。」と言われたことがあります。ああ同期はやっぱりよく見ているなぁと胸にグサリと刺さりました。
練習責任者になってからの私は「皆がやりきったと思える演技を作れたら良い」「安全に全員が走り切れたら良い」と主語が良くも悪くもどんどん他者になっていって、自分がやりたい思いは日々眩み、責任者としての立場と「皆は今日の練習をどう思っただろう」「もっと効率の良い練習方法があったのではないか」「あの時の言葉選びは正しかっただろうか」と他者からの評価ばかりを気にするようになっていました。
一見綺麗事のようにも捉えられますが、これは逃げだと気付いたのは初夏、度重なる怪我から練習が停止になった後でした。顔色ばかり伺ってチームの向かうべき道を示せない責任者なんて、ただの傀儡やお飾りじゃないか。そう深く反省した時に、ようやくチーム2024を自らの足で走り出すことができたように感じます。
私の迷いからチームの皆を遠回りさせてしまったこと、とても申し訳なく思います。それでも、ついてきてくれて、寧ろ背中を押し、時に頼もしく引っ張ってもくれた4学年70人には感謝でしかありません。
残り約2週間、最後まで一緒に同じ景色を目指して走って行けたら嬉しいです。素直でかわいい1年生、真っ直ぐで熱い2年生、心優しく周りをよく見てくれている3年生、そして同期。愛と感謝の集大成、全力で届けようね。このチームが大好き!
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家族へ
毎晩家に帰ってから始まる色んな喜怒哀楽に巻き込んでしまってごめんね。どんな時も一番の味方でいてくれてありがとう。踊りの原点であるバレエと出会わせてくれたこと、應援指導部に入るべきだと導いてくれたこと、部活を辞めたいと泣き喚く私にそんなんじゃ後悔するよと叱ってくれたこと、美味しいご飯を用意して愛犬と一緒に駅まで迎えに来てくれたこと。そして慶應に16年間通わせてくれたこと。本当にありがとうございました。引退した後しばらくは家でナマケモノになっていると思いますが、皆に恩返しできるようにこれからも頑張ります。
友人へ
皆の存在に沢山支えられてきました。オフの日に会ってたわいもない話に付き合ってくれてありがとう。中々会えなくてもメッセージをくれたり、応援してくれてありがとう。それぞれの道を格好良く進む皆の姿に刺激を受けてきました。引退したらどこへでも飛んで行きます。遊んでね。
同期へ
ここ数日皆のブログを読んで涙腺がゆるゆるなので責任とってください。「端に寄ろう」とか「話聞こう」とか保護者みたいな台詞を言うことも多かったけど、なんだかんだで私こそ皆の前では一番甘えさせてもらっていたと思います。全員それぞれの業務に追われている中でも大変さを表に出すこともなく、日々部のために頑張り続けてくれてありがとう。4年間よきライバルでもあり目指す姿でもあり心落ち着く居場所でもあり、そんな存在が常に隣にいてくれて幸せでした。冒頭にも書いたけど皆がいなければきっと私は違う道を進んでいたと思うくらい、皆がいたからこそ今日までやって来られたよ。
引退したらいくらでも寝られるしぐうたら好きなことできるから、残りの期間はもうやり残したことないわ!っていうくらい天井突き破って走りましょ。
一番時間を共にした同期として、一人一人のことを心から尊敬しています。
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最後にもうひとつ、私には応援以外に應援指導部人生で忘れられない大好きな景色があります。それが定期演奏会のステージです。幕が上がり、沢山のペンライトの光に包まれたあの瞬間を目にした時、1年間頑張ってきて良かったなと心からそう思えます。ここまで読んでくださった皆様にチーム最後の姿を直接見ていただけたら、もう思い残すことはありません。
末筆ながら、部員、コーチ、OBOG、體育會をはじめ4年間関わっていただいた全ての方へ心よりお礼申し上げます。本当にありがとうございました。