2024.11.15
チアリーディング部門M.S
こんにちは。慶應義塾体育会應援指導部チアリーディング部のM.Sと申します。
引退が数十日後に迫った今、四年間の應援指導部生活を改めて振り返る機会をいただきました。
自分の思いを文章にすることに慣れておらず、文字を書くことにも自信がないのですが、私の気持ちを私らしく素直に綴りたいと思います。
私は幼い頃から踊ることが大好きな子でした。
きっかけは小学一年生で始めたバレエです。そこで、私は全身で感情を表現することの楽しさを知りました。私はもともと目立つことが苦手な性格で、自分の気持ちを人に伝えることがあまり得意ではありませんが、踊っているときだけは物怖じせずに自分の感情を出すことができました。舞台上でスポットライトを浴びながら踊っている時間は夢のようで、私は踊ることが好きなのだとそのときに確信しました。私に踊ることの楽しさを教えてくださった恩師であるバレエの先生には感謝してもしきれません。
中学校では体操部に入り、チアリーダーとしてバスケットボールの試合のハーフタイムショーに出演する機会がありました。そこが、私にとって初めてのチアとの出会いでした。自分じゃない誰かのために踊るチアダンスの楽しさを知りました。
そして、高校でバトン部に入部しました。入部理由は、小学生から野球を続けている兄をチアリーダーとして応援したかったからです。入部してみて感じたのは、私が想像していたチアリーダーの世界とは全く違っていたことです。キラキラと輝いて見えた応援の裏には、厳しい練習の積み重ねがあったことを知りました。それでも、甲子園で応援させていただいたときの景色は一生忘れることのない素敵なものでした。
大学でも、応援を通して人に元気や笑顔を届けたいと思い、應援指導部への入部を決めました。
私が入部した2021年はコロナ禍の最中で、さまざまな制限がかかり、本来のパフォーマンスを届けることが難しい状況でした。
六大学野球のリーグ戦では、應援指導部は内野席のお客さんから離れた外野席で応援をしていました。マスクの着用が義務付けられ、部員とも一定の距離を保ちながら応援しなければいけませんでした。その状況の中で、どうすれば選手の方々に元気を与えて試合を後押しできるのか、どうすれば離れた距離にいるお客さんを笑顔にできるのか、みんなで考え工夫し、今までとは違う応援のあり方に挑戦し続けました。 何もかもが変わってしまったように見えましたが、変わらないものもありました。それは、応援が好き、応援が楽しい、試合に勝ちたい、慶應に勝利を届けたい、選手の背中を押したい、人を笑顔にしたい。そういった応援において最も大切な“気持ち”でした。その気持ちに制限がかけられることは決してなく、厳しい環境だからこそ、さらに強いものになりました。
年月が進んでコロナの制限が緩み、本来の応援を取り戻したとき、潔くマスクを外し、お客さんと笑顔でコミュニケーションを取れることが嬉しくてたまりませんでした。応援方法は大きく違っていても、外野席での応援の経験が内野席での応援に活きていると感じることが多々あります。自分たちの存在意義に苦しむこともありましたが、今振り返ると、その苦しみも成長となって自分たちに返ってきたと感じることができています。
応援は数値化することができないものであり、応援がなくても試合は成り立ちます。実際に点を決めるのも、勝敗を決めるのも選手自身です。それでも、私は応援の可能性を信じています。だからこそ應援指導部に入部したし、その応援で得ることのできる達成感は何にも代え難いものでした。
本気の応援は、誰かがもつ能力を最大限に導き出す力があると信じています。真剣な思いを込めた応援は、誰かの希望を叶える力があると信じています。覚悟ある応援の力は必ず勝利を呼び寄せると信じています。私はその応援の真なる力を信じて活動してきました。
大学で軟式野球部に所属していた兄に何気なく、選手にとって応援は力になっているのか問いかけたことがあります。バッターボックスに立っている時、応援席から聞こえてくる熱い声援に確実に力をもらっている。そう感謝の言葉を返してくれました。私たちの想いを込めた応援が、ちゃんと選手に届いているのだと実感できた瞬間であり、應援指導部に入部して本当に良かったと改めて思った瞬間でした。
私は、スポーツには実力を超えた何かが勝敗を動かすこともあると思っています。その “何か”とは紛れもなく、選手の、應援指導部の、お客さんの、みんなの“想い”であることをこの四年間で確信しました。
そして、応援は應援指導部の力だけでは成り立ちません。応援を依頼してくださり、熱い戦いを繰り広げてくれる選手の方々がいるから、一緒に応援してくださるお客さんがいるから、そして応援をサポートしてくださるたくさんの方々がいるからこそ、私たちは活動することができています。
これまで支えてくださった全ての方々に感謝を伝えたいです。本当にありがとうございました。
體育會の方々へ
たくさんの感動を届けてくれてありがとうございました。さまざまな試合を応援させていただきましたが、その一つ一つの試合にドラマがありました。この試合のためにどれほどの努力を積み重ねてきたのか、選手の背中から感じる日々でした。大学生活をスポーツに捧げてきたみなさんを心から尊敬しているし、応援できて幸せでした。
両親へ
今までたくさん支えてくれてありがとう。私自身が一位をとれるわけでも、賞をとれるわけでもなかったから、形のあるもので恩返しすることはできなかったかもしれないけれど、いろんな試合会場に来てくれて、一緒に応援してくれてありがとう。
兄へ
私が応援を始めた理由で、応援を続けてこられた理由でした。辛くて苦しくて応援から逃げ出したくなったとき、隣で話を聞いてくれてありがとう。小学校から大学までずっと野球一筋だった兄は、私にとって一番身近な選手で、一番応援したい存在でした。
同期へ
楽しいときはみんながいたから何倍も楽しかったし、苦しいときはみんながいたから乗り越えてこられました。そして、みんながいたから応援がもっと好きになりました。同期の存在なしに應援指導部生活を語ることはできないし、たくさんの時間を一緒に過ごしてきた大切な仲間です。四年間、本当にありがとう。
四年間の大学生活を應援指導部に捧げることは、私にとって大きな挑戦でした。
コロナ禍の入部当初はこの決断が正解だったのか思い悩むこともありましたが、四年目に全てがわかるのだろうと、ただただ全力で駆け抜けてきました。そして引退が間近に迫った今、この道を選んで本当に良かった。大正解だった。そう自信をもって言うことができます。
嬉しかったこと、楽しかったこと、悔しかったこと、苦しかったこと。いろんな感情をこの部で経験してきましたが、どれも大切な思い出です。
早稲田に二連勝を果たすことができた秋の慶早戦の試合後のエール交換で、応援席を見ながら塾歌を歌ったとき、これまでの応援が走馬灯のように頭を駆け巡りました。この神宮球場での景色を見ながら塾歌を歌うことはこれで最後なのかと思うと、自然と涙が溢れて止まりませんでした。若き血も塾歌も何回歌ってきたかわからないほど歌ってきましたが、今ではあと何回歌えるのだろうと寂しい気持ちになります。
応援を通して見てきた景色は、時間が経っても色褪せることなく、いつまでも私の心に残り続けることでしょう。応援席の皆さんと喜びを分かち合った日も、悔しくて涙を流した日も、どの試合もかけがえのないものでした。
応援は、私の青春そのものでした。
引退までの残り少ない時間を噛み締めながら、應援指導部での生活を大切に過ごしていきたいと思います。
幸せな四年間をありがとうございました。