2024.11.18
チアリーディング部門H.Y
こんにちは。本年度、慶應義塾体育会應援指導部、広報責任者を務めましたH.Yです。
この度は、ブログを開いていただき、ありがとうございます。
ついに、引退ブログを書く側になってしまいました。拙い文章かもしれませんが、この貴重な機会を活かして、私が過ごした應援指導部生活についてお話しさせていただきます。
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「なんで應援指導部に入ったの?」
よくあるこの質問。
「中学生の時に学校行事として参加した早慶戦を見て憧れた」と私は毎回答えていましたが、これは最初のきっかけに過ぎません。それだけで入部を決意するまでには、正直及びませんでした。
私にとって、次に述べさせていただく言葉との出会いがなかったら、ただの憧れで終わっていたでしょう。
「とにかく挑戦してみれば良いじゃない」
私が大切にしている、高校2年時の米国留学中にお世話になった先生のお言葉です。元から好奇心旺盛で、新しいことに挑戦することに苦手意識を持っていたわけではありません。しかしながら、挑戦に対して「これなら成功するだろう」と思えることと、「挑戦しても無理だろう」と感じることの間に、無意識のうちに線引きをしている自分に気づいたのです。
そこで、高校3年生だった私は、到底辿りつかないと思っていた海外大学進学に興味を持ちました。しかし、コロナ禍の影響で、私は余儀なく途中で帰国することに。正直、留学を無事終えることができていたら、私は海外大学に進学していたと思います。コロナ禍からの回復が全く読めない状況だったことや、実際何を海外大学で学びたいのかがはっきりしていなかったこともあり、現実的ではなく、選択肢として排除しました。そしてどうせ日本に残るなら、日本の大学だからこそ、慶應義塾大学だからこそ経験できることをしたいと考えていました。
そんなとき、友人と大学生活で何をするか話していると、「体育会に入る」と聞き、ふと思い出したのが、應援指導部でした。元々声の大きさには自信があり、人のために応援をすることが大好きでした。中高所属していた硬式テニス部では、運動音痴でスターティングメンバーにはなれなかったものの、誰よりも大きな声で応援していました。そのため、応援が主な活動内容という点に特に興味を持ち、自分なりに調べることにしました。気づけば、應援指導部に対する憧れが深まり、「厳しい練習を経験できるのも日本ならでは」というなんとも自分らしい前向きさで、入部を決意したのです。
大学1年生は、私の人生で最も辛い時期でした。踊り未経験で壊滅的なリズム感の持ち主である私は、毎日必死に踊り続けましたが、なかなか上手くできず、悔しくて泣くばかりでした。
春の早慶戦で若き血の踊りデビューをするはずが、チェックに受からず、同期の中で唯一、神宮でのデビューを果たすことができませんでした。当日は、試合を観ながら涙が止まらなかったことを今でも鮮明に覚えています。あの日の気持ちは、未だに思い出すと涙が出てしまいます。そんなときに助けてくれたのは、別の部活動で頑張っていた友人の言葉でした。
「頑張ってるよ、これからも頑張ってね」と言ってくれたその言葉が、私にとって大きな支えとなり、「絶対に諦めない」と心に誓いました。だからか、練習で過呼吸になり救急搬送された次の日も練習に参加しました。笑
波乱に満ちた1年生を乗り越え、2年生になった私は、大きな決断をしました。それは、チアリーディングの枠を超えて、応援指揮という新しいツールを担当することでした。理由は、不祥事後の再建活動に対する理解が深まり、部活動を支えるために自分にできることをしたいと思ったからです。また、憧れの先輩がエール指揮をしているのを見て、それに憧れたからでもあります。思い返すと、少し軽い気持ちで始めたことかもしれませんが、実際に指揮を担当させていただけたことは、私にとって大変光栄な経験でした。応援指揮を担わせていただくに値する人間になれたのかというと、定かではありませんが、沢山の方の想いが詰まった、歴史の深い応援指揮に携わる機会をいただけたことを、大変光栄に思います。ご指導くださった方々、心より感謝しております。
3年生では、自分が入部のきっかけとなった野球の早慶戦に纏わる役割を担当しました。忙しさの面では、應援指導部生活で一番大変な半年間でしたが、同時に一番楽しい半年間でもありました。自分たちで考えた企画が成功したときは、心の底から嬉しかったです。早慶カレー用のフードピックを何百個も手作りしたことも、毎晩何時間もミーティングをしたこと、zoomを繋げて作業をしたこともどれも良い思い出です。一緒に担当してくれたY.M、本当にありがとう。あなたと一緒にできて、本当に楽しかったです。
また、昨年は応援に向き合うことができた1年間でもありました。今でも、応援の意義について悩むことはありますが、應援指導部員である以上、必ず向き合う必要がありました。そこで私なりに辿り着いた答えは、「バタフライ効果を信じること」でした。応援がなくても試合に勝つことはできる。でも、應援指導部がいることによって、バタフライ効果が起きて、選手は1歩でも早くボールを追うことができるかもしれない。そんな僅かな可能性を増やすために、応援をしているのだと考えました。
そして、ラストイヤー。4年生。憧れていた4年生の方々の足元にも及ぶことはできませんでしたが、部活動を一番俯瞰することができた、長いようで短い1年間でした。同期も書いているように、思い通りにいかないことが多くあり、昨年まで下級生が不自由なく活動できるために、いかにご尽力くださっていたかを痛感する毎日でした。練習では1人の4年生として、業務面では広報責任者として、運営に携わることができたこの1年間で、私は大きく成長することができました。
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長くなってしまいましたが、最後にこの場をお借りして感謝を伝えさせてください。
体育会の方々へ
素敵な景色、そして熱い試合を毎回見せてくれてありがとうございました!応援している側なはずなのに、毎回元気をもらっている自分がいました。応援させてくださり、とても光栄でした。
支えてくれた友人たちへ
この4年間、会うとき毎回予定を合わせてくれてありがとう。やっぱり部活の予定入っちゃった、って何回もリスケしてもらっちゃって本当に申し訳なかったです。これからたくさん遊ぼうね。love you all to the moon and beyond 🤍
家族へ
落ち込んでいて一言も発さない私を夜遅くても駅まで迎えに来てくれて、私が行く応援全てを見に来てくれた父。悩みがあると真剣に相談に乗ってくれて、美味しいご飯を作って私の帰宅を待ってくれている母。何が起きてるのかよく分からないくせに「おつかれさま」と言ってくれる弟達。本当にありがとう。
1-4の先輩方へ
読んでくださっているか分かりませんが、感謝してもしきれないので、こちらで失礼します。ずっとずっと私のモチベーションでした。本当にありがとうございました!一生私の憧れです!
同期へ
本当に感謝の気持ちでいっぱいだし、言いたいことありすぎて困っちゃうから簡潔に!みんなと過ごす毎日が当たり前すぎて、終わってしまうのが怖いし、未だに想像できていないけど、残りあと少し、全員で駆け抜けよう!!最後、みんなで笑顔で終わろうね✨
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常に周りの方々に支えてもらったからこそ実現できた4年間でした。最後のステージとなる定期演奏会は、みなさまへの感謝の想いが伝わるように頑張ります!ぜひお時間ある方はいらしてください!
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。