2024.11.17
チアリーディング部門H.H
慶應義塾体育会應援指導部ステージ企画責任者を務めます、チアリーディング部4年のH.Hと申します。
私は文章が書くのが苦手で、みんなみたいにエモい素敵な文章は書けないし、記憶力薄めですぐに色々な出来事を忘れちゃうのだけど、ひとまず1年ずつの振り返りと今の気持ちを少しだけ書いていきたいと思います。
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私は高校生の時バトン部に所属していました。
バトン部では踊りほぼ初心者として入部し、右も左も分からない中、何もかも同期や先輩方に教えてもらって、ずっと助けてもらう側として活動していました。
高校3年生の最後の年がコロナ禍で、憧れだった舞台での演技ができず、思うように応援にも行けず、不完全燃焼感が否めなくて、大学でも應援指導部に入ろうと決めました。
應援指導部に入部した1年生の頃、バトン部上がりの子は応援を既に経験していて、応援歌も全部踊れたり、歌も全部歌ったことがあることから、踊りが上手くなくても経験者として扱われました。私は高校生の時、なんでも教わる側で、同期に助けられてばっかだったため、教える側になることに対して大きな戸惑いや難しさを感じた1年間でした。
今まで、色々なことを教えてくれた高校の同期の大変さを感じつつも、こんな私からの指摘でも答えてくれて、みるみるうちに成長していく同期を尊敬しました。
2年生になると、1年生の時の活動の中でイッチバン楽しかった定期演奏会の総務サブサブに就きました。
定期演奏会は唯一自分たちが主役になれる舞台で、たくさんの人が見に来てくれて、感謝を伝えられる素敵なステージです。この舞台では自分の指示のミス一つで、今までの4年生の努力が水の泡になってしまうと思い、今4年間を考えても、定期演奏会の総務サブサブが1番大変だった仕事かなぁと思います。
後輩のみんなには毎日のようにメンションしてごめんね笑
3年生のサブの代では、大変な応援系のサブにあまりついていないことから、忙しそうな同期をどうやったら手伝えるか考えてました。
自分の中では春の慶早戦主務サブが記憶に1番残っています。今ではもう当たり前となりましたが、コロナ後、初めての内野にてお客さんと一緒に野球応援が出来た初めての試合でした。引き継ぎ資料を見たり、コロナ前の慶早戦主務サブの方々から話を聞いたり、テトリス?な状況から、よくあそこまでの形になったなと思っています。一緒にやってくれたみんなに感謝です。
4年生のラストシーズンは、一つ一つの活動にラストの〇〇がついて、体育会の友達の応援もできるのも最後かとしみじみ考えてました。
みんなの努力の姿は近くで見ていたからこそ、頭で考えちゃうと、全部の試合最初から最後まで泣きっぱなしになると思ってあんまりがんがえないようにしていたけど、毎試合応援させてくれてありがとうの気持ちでいっぱいです。直接応援に行けなかった部活はごめんね。
私からの感謝は、最後の定期演奏会で存分に伝えたいと思っています。
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こっからは同期と家族にメッセージを書きたいと思います。
同期へ
いっつも細かいとこまで、ズバズバ言うくせに、真面目な話は苦手で、話し合いとかだと内容の薄いことを適当に言うような私だけど、大変な時には助けてくれて、元気をくれてみんなを頼りにしてました。
人数も多くて、意見もさまざまで纏まりが取りにくかったりしたこともあったと思うけど、最終的なゴールが一緒のみんなの意見が合わさった時は百万力だったと思う。
みんなとだから見れた景色、みんなとだから出来たこと気付かされたこともたくさんありました。ありがとう。
家族へ
ただの応援なのに、その応援を見るためだけに、たくさん試合に足を運んでくれてありがとう。
試合の結果とか選手のこととか、正直私よりも詳しくて、私を見に来てるのか、ただ試合の応援しにいってるのかもはやわかんないけど、来てくれて嬉しかったよ。
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えっ引退ブログ短くない?って思ったかもしれないけど、そろそろ終わりにします😃
この應援指導部での4年間悔いのないよう、あと20日きっちゃったけど最後まで全力で頑張ります。
関わってくれた全ての方に感謝を込めて。