2024.11.14
チアリーディング部門A.I
平素よりお世話になっております。
慶應義塾体育会應援指導部チアリーディング部4年、本年度、本部会計を務めておりますA.Iです。
この度、ブログリレーという貴重な機会をいただき、心より感謝申し上げます。
慶早戦が終わった翌日の月曜日、恐らく私と同じように、急ぎ足でブログを書き上げている同期の顔が思い浮かびます。
他のみんながどのような内容を書いているのか全く分からない中で、試行錯誤しながら書き進めていますが、最後までお付き合いいただければ幸いです。
拙い文章で恐縮ですが、この場をお借りして4年間感じたことを綴らせていただきます。
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2024年11月10日、慶早戦第二回戦。
下馬評では、早稲田が1戦目から慶應を大差で破り、そのまま優勝すると言われていました。
一戦目終了後、明日明後日こそ慶應が勝ち点を奪われると言われていました。
二戦目、早稲田が先制した瞬間、多くの観客がその日の勝利校は早稲田だと確信していました。
「去年成し遂げられなくて今年できること、それは早稲田に二連勝。」
開門前の全体集合で、代表が叫んだこの言葉が、試合中ずっと脳内で響いていました。
9回裏、早稲田の攻撃が終わり、両校の旗が上がる瞬間、神宮球場は慶應の二連勝に沸き立ちました。一年前、色とりどりの無数の紙テープが空を舞う中で、「自分もこの代で引退したかった」と不意に胸が締め付けられるように感じた自分を思い返して後悔しました。
素晴らしい景色を見られたことはもちろん、ずっと探し求めていた「応援とは何か」という問いの答えを、自分なりに見つけられた気がしたことが、何より嬉しかったです。
「応援とは」
勝ち負けがないからこそ、この問いに対する答えは部員一人一人に異なるものがあると思います。裏を返せば、正解がないからこそ「良い応援」とは何かがわからなくなることもありました。
頑張る人の想いを、それ以上の想いで私たちが受け止め続け、繋いでいくこと。
「どうせ勝てる」「どうせ負ける」などという言葉は存在しない。
世間の評価や誰かの諦めを覆すこと、それが「応援」なのだと、私は思います。
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「踊ることが好きで、全力で頑張る誰かのためになりたくて、ここに入部しました」と、度々設けられる内部広報の自己紹介欄に何度か書いてきました。それも嘘偽りない事実ですが、ただ私にはもうひとつ、應援指導部に入部した理由に「バスケットボールにもう一度関わりたかったから」という思いがありました。
中学3年生の7月、バスケットボール部に所属していた私は、大きな怪我によって選手としての道を絶たれ、そのまま復帰することなく引退を迎えました。引退試合の後、周囲の仲間が涙を流す中で、みっともない自分が恥ずかしくて、涙さえ出なかったことを今でも覚えています。
その後、高校では怪我を理由に対人スポーツを避け、ダンスの道を選びました。未練からの逃避かと思い悩みましたが、踊りが持つ魅力に夢中になり、充実した3年間を過ごしました。この経験が應援指導部に入部するきっかけとなり、私を形成する大切なものとなりました。
高校卒業時、大学ではJADEやesなどのダンスサークルに入るだろうと考えていましたが、應援指導部に入部を決めたのは4月の直前。Instagramで見かけたバスケットコートで踊るメジャレッツの応援風景を見て、「ここで自分も踊りたい」と強く感じ、経験がないチアリーディングの世界に飛び込む決意をこの時固めました。
大学3年生の時、ついに早慶バスケットボール定期戦に携わる機会をいただきました。入部当初に抱いていた夢や憧れが、実現した瞬間でした。
應援指導部には、さまざまな理由で入部した人たちがいます。私のように個人的な動機で入部した人もいれば、入部が受験を決意する大きな理由になった人もいます。その目標が最後に叶うかどうかは、人それぞれだと思います。
私は4年生になった今でも、苦手なことは苦手なままですし、誰かのためになれるほど立派な存在にはなれていません。上記の夢はもちろん叶いましたが、もう一つの、人のためになれたかどうかは正直なところ、叶わないままで終わるかもしれません。それでも、自分の目標に向かって毎日努力する仲間たちの姿はとても輝いていて、私にとって大きなモチベーションになっています。
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「一塁に足を残したままでは、二塁に盗塁することはできない。」
保守的にならず、一歩踏み出すことの重要性を説いた諺です。「現状維持は退化」というフレーズは、應援指導部員には馴染み深いものではないでしょうか。似ていますね。
應援指導部は、単に応援や踊り、楽器の演奏をする集団ではなく、多岐にわたる業務が存在し、さまざまな人がそれぞれの場で部に貢献できる場所だというのは、引退された先輩に教わったことです。しかし、特別な能力や才能を持たない私は、今年の業務を担うまで、この言葉とは無縁だと思っていました。
2024年、應援指導部が体育会に移行した年。それに伴い、本部会計という役職で、苦手なことに挑戦するさまざまな機会をいただきました。
自分ひとりでは何もできないからこそ、私ができたことは人に頼ることでした。それでも、多くの大人たちの前で発言したり、コーチの方々と連携したり、これまで逃げ続けてきた苦手なことに向き合う場面が何度も訪れました。
降りかかる困難をチャンスと捉えて取り組むことの大切さを学び、自分の成長を少しだけ感じることができました。
本部会計としてslackを徘徊していると、オフの日も含めて毎日、應援指導部の1年生から4年生全員が、それぞれの業務に取り組んでいる姿が目に入ります。「部のために」と動く周りの姿を見れば、自然と自分も同じ気持ちになります。これほど誰かのために尽くせる素晴らしい環境は他にありません。部のために、体育会の選手たちのためにと、人がいて初めて成り立つこの部活に所属し、「誰かのために」と心から願えたことは、私にとって幸せなことでした。
「応援が得意か」と問われると、正直なところ、全然得意ではありません。應援指導部員として、この質問には当然「はい」と答えるべきなのかもしれませんが、それでも今年は、3年生までとは違い、応援以外の裏方業務を経験する中で、應援指導部の素晴らしさを多く発見しました。
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私の4年間を彩ってくださった皆さま、心が揺れ動く多くの瞬間に立ち会えたことに深く感謝します。應援指導部が、どうしてこれほどまで愛されているのか、その理由を数々の言葉を通じて知ることができました。
ずっとずっと苦しくて、なかなか終わらない4年間でした。特に最後の一年は、人の期待に応えられない自分のことを嫌いになって、何度も挫折しました。でも、このブログを書いている今、その全てが意味を持つと感じています。
部活を辞めるか迷っていた私に、特効薬のように歯止めをかけてくれたもの。それは、選手の方々の頑張る姿と、恩返しをしたい人たちの姿でした。私はそんな選手の方々のように、尊敬する方々のように、誰かの心を動かせたのでしょうか。
私にとって應援指導部員として見たすべての景色が宝物です。あと少しの應援指導部員としての活動、精一杯、駆け抜けます。
支えてくれた家族、友人、同期へ
感謝の言葉をここに書き連ねると、その特別さが失われてしまう気がするので、ほんの少しだけにとどめます。引退後、改めて直接伝えさせてください。本当に本当に、一人一人に心から感謝しています。私の決断をいつも尊重し、誰よりも味方として応援し続けてくれて、有難うございました。
まとまりのない文章となりましたが、貴重なお時間をいただき、最後までお読みくださり、有難うございました。