2025.11.28
チアリーディング部R.Y
本年度、監査及び連盟常任委員を務めさせていただきました慶應義塾体育会應援指導部チアリーディング部4年のR.Yと申します。
永遠に続くと思っていた大好きな應援指導部生活も残り1週間を切ってしまいました。引退ブログを書きながらも未だに実感は湧かずあと1年くらいあるのではないかと錯覚してしまいそうになりますが、人生の宝物であるこの4年間を振り返っていきたいと思います。
拙い文章ではありますが、お時間のある方はお付き合いいただけますと幸いです。
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【入部前】
私は小学校3年生から中学校3年生まで陸上競技に打ち込み、多くの試合に出場してきました。学校に陸上競技部がなくクラブチームに所属していたため、試合の日も自分のレースの2時間前に集合し、自分のレースが終わったら自由解散と、全員で集まって応援するという決まりはありませんでした。しかし、応援が大好きだった私は、小学校3年生の時から母に頼み込んで毎試合試合開始時刻に競技場へ連れて行ってもらい、最後の競技が終わるまで残らせてもらって全員のことを応援していました。なぜこんなに応援が好きだったのかは詳しく覚えていませんが、誰もいなくて1人で応援し続けるほど本当に応援が大好きでした。また、7年間の競技人生の中で練習中やレース中に「もう無理だ」と思ってしまう瞬間も何度もありました。しかし、その度に聞こえてくる応援の声に背中を押され、最後まで頑張り抜くことができた経験は、数えきれないほど私の心に刻まれています。
さらに、大学受験の時期には、長期休みに毎日12時間前後勉強していたはずなのに、思うように成績に繋がらず心が折れそうになり、逃げたくなる時が何度かありました。しかし、友人たちからの「Rなら絶対大丈夫、応援しているよ」という言葉に何度も勇気をもらいました。彼女たちの言葉があったからこそ、最後まで逃げずに向き合い続けられたのだと思います。
このように、私は今までの人生でたくさんの方からの応援に何度も力をもらい、何度も救っていただいてきました。この経験があったからこそ、今までいただいてきた「応援の力」を幼い頃から大好きだった「応援」という形でお返ししたい、今度は私が誰かの力になりたいと思い、2022年4月、迷うことなく應援指導部への入部を決意しました。
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【一年生】
外部生であり兄弟もいない私は應援指導部のキラキラした部分しか知らず、これからは大好きな応援ができる、と胸を躍らせ入部。しかし、実際の活動が始まってみると想像以上に辛い毎日が待ち受けていました。同期も書いていましたが、この代は人数が少なかったため、毎日考えられない量の器材や練習動画のアップロードに追われていました。自宅で泣きながら夜通し踊りの練習をする日も、携帯を握りしめながら床で寝落ちする日も、ご飯を食べながら寝落ちする日も、寝落ちして椅子から落ちる日もありました笑
そんな毎日を送り始めて約2週間が経ったある日、非常に楽観的で基本的にどのようなことでも「なんとかなる、大丈夫」と考えられる私が、生まれて初めてなんとかなるとも大丈夫とも思えず、「もう無理だ」と泣きながら学校に向かいました。正直退部することも考え、上級生の方に送る文章まで作成しました。恥ずかしながら今でも携帯のメモに残っています笑
しかし、無理だと思ってからあと1日だけ頑張ってみよう、と部活へ向かいました。最後の1日にするつもりで練習場へ向かいましたが、同期みんなの顔を見たらやっぱり辞めたくない、みんなと一緒に活動したいと強く思い、部に残ることを決めました。あまりこの話をしたことはありませんでしたが、みんながいなければきっと私は應援指導部での活動を続けられなかったと思います。本当にありがとう
部に残ることを決めて迎えた初めての東京六大学野球春季リーグ戦。應援指導部員全員で応援できることへの喜びと同時に、ある1つのものに強い憧れを抱きました。それは、神宮球場に力強く聳え立っていた塾旗です。私もいつか絶対に塾旗を掲揚したいと思い、募集を心待ちにしていました。
活動を重ねるごとに、応援や練習内での楽しさが増していきました。しかし、コロナ禍であったことから、自分の力ではどうにもできないもどかしさや辛さも感じていました。応援活動時にはマスク着用必須、硬式野球応援では外野応援席で應援指導部のみ隔離された状態で、本当に選手に応援が届いているのか、選手の力になっているのか、意味はあるのか。これらの問いに対して胸を張って「はい」と言う自信がなく、自分がこの部にいる意義を見失いかけたことがあったからです。しかし、そんな時にいただいた選手の方々からの「応援ありがとう」という言葉、そして、出会わせてくれた数々の感動に救われ、どうしたら選手に想いを届けられるか、入部理由を達成できるかということを考えられるようになりました。
そこからの毎日は目の前のことに必死で、非常に濃く、気がついたら1年間の活動が終わっていました。充実した1年でしたが辛いことも多かったためもう一度同じことをしたいとは言えませんが(笑)、大きく成長させてくれ、私の人生には必要不可欠な経験だったと胸を張って言えます。
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【二年生】
二年生の1年間は「楽しかった」の一言に尽きます。「華の2チア」を全力で楽しんでいました。感染症が落ち着き始め、応援に伺わせていただける機会が増え、選手の近くで観客の方と一緒に応援できる内野応援席が復活しました。制限が解除されたことで、皆様と一緒に同じ場所で応援できることは決して当たり前ではないということに改めて気付かされ、一つ一つの活動に対する感謝の気持ちがより一層強くなり、その有り難さを噛み締めながら臨んでいました。
自主練習を重ねたことで踊りへの苦手意識が少しずつ減ってきて、スタンツでも新たな技に挑戦できるようになり、あんなふうになりたい!と憧れる上級生方の背中に必死にくらいつこうとする毎日でした。帰宅してからは憧れの方の動画を見漁り、自分の中で目指すべき理想の姿を確立しました。それだけでなく、入部当初から心待ちにしていた塾旗組織への参加が叶い、本当に毎日幸せで楽しかったです。
嫌なことは寝たら忘れてしまうタイプなので「楽しかった」の一言で終わらせてしまいそうになりましたが、よく思い返してみると全てが順調だったわけではなく、塾旗組織では2つ、そしてチアの活動の中では1つ、合計3つの壁にぶつかりました。
まずは塾旗組織でぶつかった壁についてお話ししたいと思います。1つ目は、体格的に塾旗を掲揚できるかわからない、と言われたことです。練習を始める前から、できないかもしれないということに悔しさを覚えました。一度決めたことは最後まで貫きたいという思いと、小柄な私が掲揚できるようになることで体格を理由に諦めてしまう後輩の挑戦の可能性を広げたいという思いから、掲揚できるかわからないと言われてもなお、塾旗組織への参加の意思は揺るぎませんでした。気持ちが揺らぐどころか、掲揚できないなら塾旗付きとして入っている際や作成の際に安心してもらえるようイメージトレーニングを重ね、少しずつ上達していることを感じられるようになりました。
しかし、10月頃に初めて塾旗を掲揚する機会をいただいた時、2つ目の壁にぶつかりました。最初は1番軽い旗でも苦戦し、同時期に始めた同期2人がどんどん上達していく中、私1人だけ上達せず取り残されていきました。どうしても上達したくて、毎日上級生方が掲揚している動画を見て、自分自身が掲揚しているものとの違いを書き出していました。課題を整理して、次の練習で意識するポイントを書き出す。この作業をひたすら繰り返し続けました。この作業を始めてから少し経った頃から、少しずつ安定して掲揚できるようになってきました。しかしこれは、上級生方がいらっしゃらなければ到底成し得ませんでした。上級生方がいつもすぐ近くで親身に練習を見てくださり、もう少し〇〇したら良いよ、とか、次は〇〇を意識しよう、とたくさんのアドバイスをくださりました。なかなか上達しなかった私を見捨てることなく、優しくご指導くださり本当にありがとうございました。皆様のご指導があったから、慶早戦で試合前外野入場旗旗手と試合前内野固定旗旗手を務めるという、塾旗組織に入った時からの2つの夢を叶えることができました。(to K.T この二つの夢を叶える機会をくれてありがとう、感謝の気持ちでいっぱいです)
3つ目にぶつかった壁は、定期演奏会直前の強化練習期間での怪我です。定期演奏会に向けて全員の士気が高まる強化練習期間。本番に向けていつもの通り技の練習をしていたその瞬間パンっと体の中で何かが弾ける音が聞こえ、肋骨付近に痛みを覚えました。しかし私はスタンツで上げてもらうトップというポジション。トップがいなければ、同じ基の人たちは練習ができず迷惑をかけてしまう。座って呼吸をするだけでも痛みはありましたがテーピングで固定して練習に参加しようとしていました。しかし、スタンツのテクニカルコーチの方と当時の四年生方に、まだ無理する期間じゃないから今日はもう早く帰って病院行っておいで、と言われ練習を早退。自分が定期演奏会に照準を合わせられなかったこと、コンディションを整えきれなかったことで基の全員に迷惑をかけてしまったことへの情けなさから、帰り道は涙が止まりませんでした。整形外科で肋間筋の肉離れと診断され、非常に悔しく情けない気持ちでいっぱいでしたが、あの時親身に練習メニューを考えてくださった上級生方、強すぎて1日に貼れる枚数に制限のある湿布を複数枚くださったMさん、心配し寄り添ってくれた同期、その全ての方のお力があったからこそこの壁を乗り越えられました。誰かの力になりたいと思って始めたはずが、気づけば周りの方々から力をいただき続けており、残りの2年間でいただいてきた力を還元できる存在になる、と心に誓いました。
「華の2チア」を謳歌しながらも壁にぶつかり、残りの2年間をどのように過ごしたいかを明確にできた収穫の多い1年でした。
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【三年生】
サブとして應援指導部の実働を担う三年生。私たちの学年は人数が少ないため、一人一人が担当するサブの数は非常に多く、1人3〜4個掛け持つことが当たり前でした。同じ人でも担当する競技ごとに見せてくれる姿は大きく異なり、その一つ一つに刺激をもらっていました。また、1・2年生の頃とは異なり個々での業務が増えたからこそ、それぞれの場所で今まで以上に輝いている同期を見て、私ももっと頑張ろうと何度も力をもらっていました。
そんなかっこいい同期とは反対に、私自身は人前で話すこともその場で考えて話すことも苦手でした。初めのうちは話したいことをまとめてスクリプトを作成し、お守りのように握りしめながら話していました笑
試合前は十分に準備をしてから臨めますが、試合後はその日の状況によって話す内容が異なるためその場で考えて話さなければなりません。その場で考えて話すことに苦手意識があった私にとって、試合後の集合で一言話す時間は永遠に来ないでほしいと願うものでした。毎度話し終わった後に、もう少しこうしておけば良かった、もっとこうすべきだったと一人反省会を開催していました。ある程度以上慣れてきてからは、同期が話していて真似したいと思ったフレーズをメモし、集合での一言に取り込んでいきました。みんなのおかげで、少しは人前で話すこと、そして、その場で考えて話すことに対する苦手意識が払拭できました。
この1年は、トップの相方が留学に行ってしまい三年生トップは1人でした。たくさん練習でき、成長はできたものの、何をやっても1人だったので正直なところ本当に心細かったです。1年で帰ってきてくれてありがとう笑
この年は上手くいった時も上手くいかない時も誰かに頼ることはできず、特に定期演奏会の練習が始まってからはそれまで以上に全てを1人で抱え込んでしまっていました。そんな時に、1つ上の学年のトップのMさんとYさんが「Rもこっちおいで」と声をかけてくださり、その優しさに密かに涙を流しました。すごく嬉しかったです、本当にありがとうございました。
人数が少なく常にやるべきことに追われ続けていた三年生の1年間は、今まで見えていなかった側面に気付かされ、さらに、改めて人の温かさに触れられ、成長と学びの多い年になりました。
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【四年生】
大好きな同期と迎えたラストイヤーは本当に楽しく、毎日幸せを噛み締めながら生活していました。しかし、それと同時に、4年間のなかで最も悩みや葛藤を抱えていたと思います。
この1年は私が幼い頃から大切にしてきた2つの言葉に助けられた年になりました。1つ目は、「いつも喜んでいなさい、どんなことにも感謝しなさい」です。これは12年間過ごした母校で習い、私が人生で最も大切にしている言葉です。物事は見方次第で、いくらでも捉え方を変えられます。自分の思った通りにならず嫌だと思うこともあるかもしれません。それでも見方を変えれば、成長し変わるチャンスが与えられた、ということもできます。どんなにマイナスに思えることであっても「いつも喜び、どんなことにも感謝する」ことでプラスに捉えられ、少し気持ちが楽になります。おそらく、この言葉があったから基本的にどのようなことでも「大丈夫」と思うことができていたのだと思います。
2つ目は、「置かれた場所で咲きなさい」です。与えられた環境の中で最善を尽くし、自分らしい花を咲かせるというこの言葉の意味を軸に、自分の置かれた状況で最善を尽くしできることを一つ一つ積み上げていくことを常に意識してきました。そのため、環境や状況によって気分がアップダウンすることは極めて少なかったと思います。
そんな私が、最後の1年は「大丈夫かな、これで良いのかな」と不安になり、気分がアップダウンしてしまうことも何度かありました。目の前のことに集中しすぎるあまり、大切にしてきたはずのこれらの言葉を忘れかけてしまっていたのです。
役割上、気持ちや感情に蓋をし、何がこの部にとって重要なのか、今自分たちに求められているものは何なのかということを考える機会が多くありました。一部員として持っている自身の意見と、自分に求められているものや他者から言われたことが大きく異なり、その差に悩むことも少なくありませんでした。何かアクションを起こす前に「本当にこれで良いのかな、部のためになるのかな」と、業務中はあまりポジティブに考えられていませんでした。
しかし、ふと立ち寄った本屋さんで「置かれた場所で咲きなさい」この言葉が目に飛び込んできて、その瞬間心が軽くなったのを感じました。今まで目の前のことに集中しすぎていたため、ひとつ冷静に自分の軸に立ち返る時間を作りました。「いつも喜び、どのようなことにも感謝し、自分の最善を尽くす」。そこからは、結果を気にしすぎるのではなく最善を尽くして今の自分にできることを一つ一つ積み上げていくことを徹底しました。その結果が少しでもプラスに近づけられていると思っていただけていたら幸いです。
少しマイナス寄りなことを書いてしまいましたが、あまり私らしくないので、最後に私らしくポジティブなこともお話ししたいと思います。
「ご縁を大切に」
これは今年の代表であるF.Eが何度も言っていた言葉です。応援というのは人の繋がりの上に成り立つものであり、この應援指導部はその繋がりがなければ活動できません。終わりが見えてきて、活動の一つ一つに「最後の」がつくようになった今年は、今まで以上に一人一人との繋がりを強く感じられ、周りの方への感謝の気持ちが大きくなった一年でした。それぞれ葛藤を抱えながらも前だけを見て突き進んでいく逞しい同期、卒部されてからも足を運んで温かい言葉をかけてくださる上級生方、一人一人の個性が輝いている最強で最高な後輩たち、もっと前から仲良くなりたかったと思う人もたくさんいますが可愛くてかっこよくていつでも笑顔にしてくれる六大学の同期、いつでも前を向き全力で戦い抜く選手、いつでも味方でい続け応援し続けてくれた家族、応援に駆けつけてくれた大切な友人たち、たくさんのお力添えを賜った部長・コーチ・応援部三田会の方々、いつも試合会場に足を運び大好きな応援席を一緒に作り上げてくださった皆様、そして應援指導部を支えてくださっている皆様。
この中の1人でも欠けたら、私の應援指導部人生は完璧なものとは言えません。誰かの力になりたいと思って始めた應援指導部生活は、皆様の支えによって紡がれてきた日々の積み重ねで、皆様の存在が私の心を強く支えてくれました。一瞬一瞬が、私にとってかけがえのない宝物です。
4年間本当にありがとうございました。
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書き始めたらあれもこれもと止まらなく、長々と自分語りをしてしまったのですが、最後にこの場をお借りして感謝を伝えさせてください。
同期へ
他己分析で何人かから言われたのでもうみんな知っているとは思いますが、私は自分の感情を表に出すことがあまり得意ではなく、普段あまり愛も感謝も伝えられていないので、この場を借りて伝えたいと思います。
みんなと同期になれて、4年間ずっと一緒に活動できて本当に幸せでした。みんながいなければ絶対に続けられていなかったと思います。どんなに嫌なことがあっても、みんなと一緒にいる時だけはそのことを忘れられ、心の底から幸せな時間を過ごすことができていました。ケラケラ笑っていたと思ったら泣いて、盛り上がっていたと思ったら急に電池が切れたかのように静かになって、、、そんなみんなのことが大好きで、みんなとの日常が少しづつ非日常へと変わってしまうことが寂しくてたまりません。それぞれの持つ素敵な考えに4年間毎日刺激をもらっていました。広い応援席の中でどこにいてもすぐに見つけられるくらい一人一人が輝いていて、そんなみんなのことを見たら私ももっと頑張ろうと思わせてくれ、前に進む原動力となっていました。
みんなと『進』み続けた4年間は、何にも変えられない私の宝物です。4年間本当にありがとう
家族へ
真夜中に帰宅して明け方まで踊っていたり、疲れてすぐ不機嫌になったり、帰ってくるなり八つ当たりしたり、明け方まで一緒にバッテンを作ってもらったり、、、
あげ始めたらキリがない程たくさん迷惑をかけてしまったけど、こんなにも充実した部活動生活を送れていたのはみんなのおかげです。どんな時でも一番の味方でい続けてくれて、応援し続けてくれてありがとう!特に、最後の1年は1試合も欠かすことなく全て見にきてくれてありがとう、とっても嬉しかったです!
毎日「楽しんできてね」と送り出してくれる言葉の通り、定期演奏会までのあと数日、悔いが残らないよう全力で楽しみます笑
上級生方へ
どんな時でも見捨てず、温かくご指導くださり本当にありがとうございました。いつかあんな風になりたいと上級生方の背中を追い続け、気づけば四年生になっていました。私が目指していた皆様の姿に近づけているかどうか正直あまり自信がありませんが、永遠の目標である皆様に少しでも近づけるよう全力で走り抜けます。最後のステージでは皆様への感謝の気持ちを精一杯お届けします!最後まで見守っていただけたら幸いです
下級生のみんなへ
まずはこの1年間、私たち四年生についてきてくれて本当にありがとう。私はみんなとたくさんお話ししたいと思う一方、自分のコミュニケーション能力にあまり自信がなくて自分から話しかけるのが苦手なので、みんながたくさん話しかけてくれたことが本当に嬉しかったです!
最後にみんなに伝えたいことがあります。それはみんな本当に素敵で、それぞれがかけがえのない存在だということです。これからこの部活を続ける上で壁にぶつかることもきっと少なくはないと思います。でも、みんななら何があっても絶対に大丈夫です。みんなに乗り越えられない壁はありません。どんな時にも自分たちを信じてあげてください。きっとその先には、今まで経験したことのないような最高な景色が待っています。一日一日を大切に、悔いが残らないよう存分に楽しんでください。みんなの残りの應援指導部生活が最高なものになるようお祈りしています。
體育会の皆様へ
4年間たくさんの感動に出会わせてくれて本当にありがとうございました。「応援」という形で誰かの力になりたいと始めた應援指導部生活の中で、いつでも勝ちを信じ、常に前を向き続け戦い抜く姿に何度も力をもらっていました。4年間皆様の勇姿を近くで応援させていただき、本当にありがとうございました。
最後に、応援席に足を運んでくださった皆様、部長・コーチの皆様、応援部三田会の皆様をはじめ、應援指導部を支えてくださり、この4年間関わってくださった全ての方に、心より感謝申し上げます。4年間本当にありがとうございました。
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長くなりすぎてしまいましたが、最後までお付き合いいただきありがとうございました。
12/1の定期演奏会をもって、長いようであっという間だった4年間の應援指導部生活は幕を下ろします。その最後のステージには、この4年間関わってきてくださった全ての方に感謝の気持ちを届けられるよう全力で挑みます!みなさま最後の1秒までお楽しみください!




