2025.11.25
吹奏楽団A.O
本年度吹奏楽団責任者、指揮及び大吹連理事を務めさせて頂きましたA.Oと申します。
私は元来文章が長くなってしまう性質でして今回もそのような予感がしますが、気長に読んでいただけますと嬉しいです。
私は4歳からピアノ、10歳からフルートを始め音楽に小さい頃から触れさせてもらっていましたが、個人で演奏するよりも仲間と演奏することが大好きでした。中高ではオーケストラを2つ掛け持ちしたことにより、様々な方と交流させていただきました。私は趣味と呼べる趣味がなく、続けたことといえば幼少期から習っていた音楽だけでしたが、これからも続けていきたいと思った経験でした。
一方で高校ではコロナウイルスの蔓延により、完全な形でのオーケストラを実現できないまま引退を迎えました。高校時代不完全燃焼で終わってしまったため、大学では何かを最後までやり遂げたいと思っておりました。
應援指導部に入部したきっかけはいろいろあります。数ある団体の中でなぜ應援指導部、特に吹奏楽団を選んだかというと、人がやっていないことをやりたいというちょっと逆張りな精神からかもしれません。高校の部活動の同期たちは、そのままオーケストラを続けるか全く違うサークルに入るかの二択が多かったように感じます。私は音楽をやめる選択肢はゼロでしたので、必然的に前者になるのですが、オーケストラをそのまま続けることに疑問を感じるようになりました。
--何か新しい方法で音楽を続けたい、でもフルートは続けたい。
そんな我儘な私の希望を叶えてくれたのが、應援指導部でした。憧れのマーチングに挑戦できる環境はもちろんですが、何より自身の好きな音楽を使って「応援」できる、他の方のために音楽ができる環境に魅力を感じました。オーケストラの演奏会ではもちろん観客の方がいらっしゃいますが、より相対して音楽を届けられる環境は、音楽を続けてきた私にとっては魅力的すぎました。
入部した後はコンバート制度を利用して、新たな楽器を始めました。白くて大きなスーザフォンです。
4年経った今でも、下級生からいまだにスーザフォンを吹いているのが理解できないと言われる私ですが、正直よく頑張ったなと思います。神宮球場でお会いした方にも重そうだねとよく声をかけられますが、本当に重いです。常に肩が痛いような気がしていましたが、4年間耐えてくれた肩に感謝です。
フルートとスーザフォンという前代未聞のコンバートではありましたが、どちらも4年間続けられてよかったと思いますし、どちらの楽器も本当に大好きです。よくどっちの楽器が好きか聞かれますが、お父さんお母さんどちらが好きかの質問と同じでどちらも欠かせないものです。
同期の人数が少ないからこそ、させていただいた経験も多かったと思います。
特に最後の1年間、吹奏楽団責任者と指揮を兼任することで、吹奏楽団の部員と特に密接に関わらせていただける立場をいただきました。
70人規模の大きな吹奏楽団になったこともあり、技術的側面からもそれ以外の面でも今年1年間できるだけ1人1人と向き合うことを心がけてきました。内向型で自分から話しかけるのが苦手な私にとって、役割という形で話しかける大義名分が与えられたのは大変ありがたいことでした。時間は限られる分完璧にとはいきませんでしたが、できなかった箇所が演奏できるようになったと報告してくれる下級生の姿は何よりも嬉しかったです。
個人としては、自身の作成したファンファーレが神宮球場に響き渡った瞬間が今でも忘れられません。小さい頃から作曲が苦手だったので正直完全に納得がいく曲とは言い切れませんが、自身が作った曲で応援席が盛り上がったということは素直に嬉しかったです。
また指揮台から見る応援席の景色は、指揮者だからこその特権でした。応援席全体を見渡せるのはもちろん、キラキラと輝くみんなの笑顔を見ることができました。指揮をしながら吹奏楽団のみんなとアイコンタクトをすることが生き甲斐で、もうあの景色を見れないと思うと少し寂しくあります。みんな、ありがとう。
いろいろなツールで活躍する同期のように、マルチプレーヤーにはなれませんでした。それでも長く続けた音楽というフィールドにおいては、やり切ったと思えます。特に指揮として、誰か1人のためにでとなっていたら嬉しいです。
應援指導部員でいる中で、悩みは尽きません。いろいろな悩みがあると思うけれど、他人と比べて上手くいっていないという悩みを抱えている後輩には自分の速度で進めばいいと伝えたいです。いろいろなバックグラウンドの人がいて、さまざまな活躍をできるのが應援指導部の魅力とよく言われますが、そのような環境があるからこそ活躍できているのか、自身の存在意義は何かと思い悩むときはあると思います。私も2年生の際活躍する同期を見て、本当にこれでいいのか悩んだ時期があります。特に応援活動においては、平サブが苦手な中楽器も初心者で参加したくないと思ったこともありました。それでも私は自分のペースで進んでいけばいいと思います。人を気にしないなんて難しい世の中ですが、この應援指導部ならそれぞれが輝ける場があると思います。お互いがお互いを尊重し合って1人1人自分らしく花開ける場所であって欲しいと願います。
「どうせ同じ時間をかけるなら、全力でやりたい。」
どちらかと言えば面倒くさがりな私の信条です。遊ぶこともアルバイトもままならないほど多忙な應援指導部生活ですが、どうせやるなら全力でやりたいとがむしゃらに取り組んできました。後輩のみんなも忙しい日々に流されず、1日1日を大切にして欲しいです。
フルートパート
演奏時しかいないのにも関わらず、受け入れてくれてありがとうございました。おっとり見えるパートだけれどしっかり芯があって、みんなと一緒に他パートを圧倒すべく練習した日々は楽しかったです。指揮としては自分のパートだからこそどうしても他のパートよりも高いレベルを要求してしまうことが多くて、私が編曲した譜面はだいたい連符だらけだったと思います。これからも他パートを圧倒する不動のパートでいてください。
バスパート
自分含め4名の少人数パートに入ったはずなのに、気づいたら11人の下級生を持つ立場になっていました。
世間一般でいうバスパートの性格とはかけ離れている人が多いけれど(?)、重すぎるスーザフォンを4年間続けられたのは、間違えなくバスパートのみんなのおかげです。楽器初心者の私も温かく迎え入れてくれてありがとう。これからもみんなで仲良く温かいパートであって欲しいなと思います。
指揮スタッフ
もちろん後悔もあるけれど、こんなにもたくさんのことをできたのは指揮サブのみんなのおかげだと思います。思いつきでいろいろなことを試したくなる私に対して、高い対応力で反応してくれて本当にありがとう。個々の演奏技術も指揮として教える技術も最強のみんなと、同じステージで指揮を振ることができて嬉しいです。
同期
割とみんなドライなので感謝の言葉を書くのは恥ずかしいけれど、4年間ありがとう。4年間誰も抜けることなく全員で最後まで走り抜けられて嬉しいです。いろいろな場所で輝くみんなと同期でよかったなと日々感じています。最後の定期演奏会悔いなく頑張ろうね。
應援指導部人生4年間を送る中で、たくさんの方に支えられてここまでやってきました。
改めて関わっていただいた全ての方に感謝して、最後の定期演奏会に全力で臨みます。




