2024.11.17
吹奏楽団M.Hay
本年度、育成責任者、指揮、ステージ企画責任者を務めさせていただきました慶應義塾体育会應援指導部吹奏楽団4年のM.Hです。
私は昔から自分の想いを素直に表現することが苦手なうえに、この部活に入り自分の気持ちにあまり向き合う機会がありませんでした。そのため、この場をお借りして、自分の気持ちに向き合い、表す機会にさせていただきます。
国語が大の苦手で大学入試でも小論文入試に非常に苦しんだ私の文章は、稚拙で読みにくいところが多々あるかと思いますが、お時間がある際に読んでいただけますと幸いです。
應援指導部への入部は私にとって人生一の挑戦であり、試練でした。
この部に入るまでは様々な葛藤がありました。
私の入部日であり、私の大学生活を180度変えた6月20日までの日々は漫然としていました。
当時は新型コロナウイルスの影響で、週に1回1コマしか対面授業がなく、私の当初所属していたサークル活動も制限がかかり殆ど行われていませんでした。5月上旬までの私は、その日常に違和感を覚えることはなく、なんて楽な日々なんだと毎日友人と遊び、アルバイトに勤しむ日々を送っていました。
そんな怠惰な私が日常に疑問を抱く瞬間がありました。それは5月に行った吹奏楽団の応援練習見学でした。
そもそもこの練習に行く前には、この部に入る気なんて全くありませんでした。なぜ参加したのかと言えば、昔登録していた應援指導部の新歓LINEの登録解除を忘れていたため、LINEで強い勧誘を受け、それに断れなかったからです。憂鬱な足取りで練習に参加したことを覚えています。
しかしながら、先輩方が吹かれているチャンスパターンを聞いた際にそんな憂鬱な気持ちは吹っ飛びました。私が適当に過ごしている日々の中で、こんなにも真剣な目で部活をしている人がいるんだと驚き、適当な毎日を過ごしていた自分が恥ずかしくなりました。
それでも、私は入部を即決できませんでした。
言わばぬるま湯の環境の中で中高生活を過ごしていた私にとって應援指導部での大学生活は簡単に想像することができませんでした。親にも辞めた方が良いと止められました。
そもそも、楽器が上手いわけでもない私は大学ではお遊び程度で楽器を楽しむ予定でした。そんな私が後4年間も楽器に向き合い続けられるのか、もう一度真剣に吹奏楽に取り組めるのか、そう問いかけた際にいつも出る答えはいいえ一択でした。
それにも拘らず、應援指導部という自分とは正反対の環境で4年間を捧げられるのか。
この問いへの結論出しには膨大な時間がかかりました。時間をかけた末、自分の4年間への成長への期待、新たな環境への挑戦を決めました。
しかしながら、この気持ちは長く続きませんでした。應援指導部はそう甘くはなかったのです。
膨大な暗記事項、ルール、厳しさ、先の見えない日々の練習に襲われ、もう無理かもと思う日々でした。そんな中リーグ戦が始まり、応援の難しさにも直面しました。自分に出来ることを見つけようにも、課題の量が膨大で、何から克服すれば良いかも分からない状態でした。苦しさ、難しさに追われているうちに気づいたら1年を終えていました。
2年目以降もさらに苦しい日々が待っていました。
同期は部において実力を発揮し始め、痛烈な劣等感を感じました。なぜ同じように活動しているにも関わらず、同期に出来ることが自分には出来ないのか。
そんなことを思う日々の中で、モチベーションを失いつつありました。小中高時代部活動が大好きで仕方なかった私が、なぜここまでモチベーションを持てなくなったのか、自分自身に対して疑心暗鬼に陥りました。
周りは徐々にコロナウイルスの制限が解除され、周りの友人が大学生活を謳歌している中、自分は今の大学生活で良いのか、この問いが常に自分の頭を彷徨っていました。
3年生になり、同期が少ない私の代は数々の役職を掛け持ちしました。ここで、私はやっと應援指導部の醍醐味を理解できるようになった気がします。
そして、サブイヤーを楽しんでいるうちにあっという間に4年生になりました。4年生はまた別の意味で悩まされる日々でした。
私が思っていたよりはるかに應援指導部は難しく、何をするにも壁がありました。特に、指揮の業務については個人的な壁が大きかったです。私は恥ずかしながら音楽への理解が浅はかであり、楽譜も時間をかけないと読めないような人間です。それでも高校時代は「ノリ」でなんとかなっていましたが、この部ではそのノリは通用しませんでした。4年生なのにと思われるかもしれませんが、前に立つと手の震えが止まらず、言いたいこともまともに言えない、そんな自分が嫌いでした。自分すらこんなに出来ないのに周りに何を言えるのか、と思う日々の中、毎日不安と焦りが続きました。そして、それは現在進行形で今でも変わりません。
それでも私が應援指導部を、練習を好きでい続けられたのは、「人の力」に常に助けられたからです。色々な壁に当たり、不安を感じる日々の中でも、同期との毎日の会話、後輩と交わす何気ない会話が私の心を和らげ、私の活力となっていました。同期ありき、先輩・後輩ありきの部活動、4年間でした。
「人の力の偉大さ」これは應援指導部に入らなければ見つけられなかったと思います。
まだまだ語り尽くせませんが、この4年間は本当に本当に私の人生の大きな糧になりました。
この部で関わってくださった皆さんに対して、感謝の気持ちで一杯です。
定期演奏会では今までの同期、先輩方、後輩達への感謝を思う存分伝えられるステージにしたいと思います。
そして、こんな私を4年間支えてくれた家族にも感謝の意を述べたいです。毎日夜遅くに帰ってきても美味しいご飯を用意して待っていてくれて、本当にありがとう。理解してくれてありがとう。