2024.11.16
チアリーディング部門Ko.T
こんにちは。
慶應義塾体育会應援指導部、令和6年度主務、応援指揮責任者、ステージ企画責任者を務めました、Ko.Tです。
四年間を振りかえるという事なので、記憶に残っていることを書いていきたいと思う。
時は、硬式野球部が無傷の10連勝をする可能性があった2019年に遡る。結局9連勝で止まってしまったが、この9試合目が私が應援指導部に入部しようと決めた瞬間だった。学生服を身につけた部員がひたすら声を出して選手を応援する姿、ひたすら動き回って声を出す姿、汗だくになって人を応援する姿、大学生活をここで過ごすと心の中で誓った。
しかし、入部後1.2年は想像と全くかけ離れた時間を過ごす事となった。1年次はコロナ禍で活動頻度が少なく、同期と会う機会もかなり少かった事もあり、今振り返ると部活動や練習を少し舐めている自分がいた。そのような気持ちが態度に出ていたのか、ある日の練習で上級生からご指導をいただいた。「自分に甘えるな!自分を甘やかすな!!」練習合間の反省の際に下ろされたお言葉である。そこから、なにくそという精神でやってきた。応援は、競技とは違い数値化できないからこそ、手を抜こうと思えばいつでも抜ける。結局、いかに選手を応援したいと思えるか、観客を巻き込めるか、全力でひたむきに出来るか、辛い時に自分自身を追い込めるか、当時の上級生はこういう事を言いたかったのではないかと勝手に解釈しており、今でも大切にしている考え方である。
2.3年生を経て、いざ4年生になった今年はうまくいかない事の連続だった。普段の活動や練習含め、する事なす事がことごとく失敗し、同期や下級生に沢山辛い思いをさせてしまった。しかし、どのような時でも味方でいてくれる同期・下級生の存在があった。直接言葉で伝えてくれる同期や、実は陰で味方してくれていた同期など、勿論全員ではないけれども、そのような同期がいるという事を後々聞いた時には本当に嬉しかった。あえて名前は出さないけれども、心の底から感謝している。
そしてなんと言っても今年の応援指揮チーム。今年度はここに全力を注いだと言っても過言では無い。まだツールと化していなかった時(リーダー指揮の時代)は下級生時代にひたすら型を振り続け、学年を経るにつれ醸し出されるその人独自の格好良さなどがあり、学年が上がれば(特に幹部になれば)当然の様に振ることが出来た。しかし、ツールと化してからは、学年が上がればいつか振れるようになるだろうという都合の良い部分だけを切り取った雰囲気があった。そもそも、私はツールという言い方が大嫌いだった(今も大嫌いである)し、そのような雰囲気をどうしても打破したかった。前期はその気持ちが強すぎたあまり、部員に迷惑をかける事も多々あったが。
しかしながら、男女関係なく誰が見ても上手だなと思うようなチームを目指して一年間やって来た。ここはずっとブレていない。応援指揮で試合結果が変わるとは思わない(というか変わらない)が、応援指揮には人を先導し、魅了する力があると信じている。ある意味、芸術と言っても過言では無い。それくらい応援指揮を愛していた。その思いを伝え、チーム全体に競争意識を植え付け、僕が持っているモノ全てを伝え続けた。これが良い事だったのかは分からないけれども。
残るは定期演奏会。私を支えてくださった皆様に、最高のステージで感謝の気持ちを届けたい。
最後に、私がひそかに大事にしていたメディチ家の家訓を記したいと思う。
「目立たず、慎重に、それでいて気前よく」
学生時代にはあまり達成できなかったので、これからの人生で生かしたい。