2024.11.16
チアリーディング部門Kyo.T
本年度、器材管理責任者を務めさせていただきました慶應義塾体育会應援指導部チアリーディング部4年のK.Tです。
私は文章を書くことはもちろんのこと、そもそも自分の気持ちを公に語ること自体があまり得意なタイプではないので、こうして引退ブログを書くかどうかも正直悩みました。
ですが、せっかくの貴重な機会ですので引退前最後に4年間を振り返り、思いの丈をここに綴りたいと思います。
拙い文章ですが、お時間がある際に最後までお付き合いいただけますと幸いです。
私はこれまで部活動といったものに縁がない人生を送ってきました。
小学校〜中学校時代は習い事のピアノに打ち込む日々を送り、友人たちが放課後、部活動に励む中、1人帰宅してピアノの練習をする毎日でした。将来の夢はピアニストなんて時代もありましたが、高校進学の際にプロの音楽家を目指す道は自らの実力的にも現実的ではないときっぱり諦め、Ko.Tと出会うことになる高校へと進学しました。高校では部活動を、と言いたいところですが、残念ながら進学先の高校(普通科)には運動部が存在せず、生徒の大多数が部活動に所属していないような状況だったので結局、高校でも部活動に所属することはありませんでした。
私の高校時代は良くも悪くも変わり映えもしない平凡な日々でした。ピアノの道も諦め、特に目標もなく毎日をただ過ごしていた無気力な私に大きな衝撃を与えてくれたのが野球部、そして応援の存在でした。
部員全員が高校生活の全てを捧げ、甲子園優勝という一つの目標に向かってがむしゃらに頑張る野球部の姿は自分とはまるでかけ離れていてとても眩しく見えたのを今でも鮮明に覚えています。そして甲子園での応援。選手も観客も全員が「勝利」という一つの目標に向かって全力になっている。何千人もの人々があの瞬間、あの空間では想いを一つに一生懸命になっている。そんな熱い空間に私はとてつもなく惹かれました。大勢の人と一緒に何かを成し遂げることに魅力を感じたのでしょうか。自分とはかけ離れていて眩しく思えた存在が共に戦う仲間のように近くに感じられて嬉しかったのでしょうか。明確な理由は分かりませんがこのことがきっかけとなり、私は應援指導部への入部を決意しました。
(この高校でKo.Tと出会うことになるなんて最初の方に書いてしまいましたが彼との高校時代の話が1つもなく申し訳ないです。彼とは2年間同じクラスだったにもかかわらず、ほとんど話したことはなかったので仕方がないですね😃)
入部に至るまでの話をつらつらと書いてしまいましたが、肝心の入部後の4年間を振り返ってみたいと思います。
1年生の頃は想像していたよりもはるかに過酷な日々についていくことにとにかく必死でした。前述の通り、部活動の経験がなかった私は全てのことが初めてで右も左も全く分からない状態でした。初めての先輩に初めての同期。おまけに運動音痴で何をやっても上手くいかず、各方面に沢山迷惑をかけたと思います。踊りながら涙が止まらなくなる日もありました。
実家に帰るたびに両親には「本当にやっていけるのか。やめた方がいいんじゃないか。」とひどく心配されていました。
それでも1番辛い時期を踏ん張れたのはやっぱり同期の存在があったからです。本当にありがとう。
2年生になると初めての後輩ができ、自分が先輩になることへの焦りと不安を感じました。恥ずかしい先輩にならないようにと後輩に負けじと必死に練習に励みました。
3年生、前に出て話したり、全体を取り仕切るような場面が増え、人前で話すことが大の苦手な私は大きな壁にぶち当たりました。同期が頼もしくサブ業務をこなす中、私はHT演技の練習の進行も応援活動前後の全体集合もぐだぐだ。私が担当していたホッケー応援の主な試合会場である大井ホッケー競技場へと向かうバスでは毎回、全体集合で言う言葉を何度も頭の中で練習していました。それでも人前で話すことは一向に慣れず、いつも声が震えてしまい格好悪い姿ばかり見せてしまい、そんな自分が恥ずかしくていつも落ち込んでいました。こういった挫折経験を語る際は克服するまでがセットだと思いますが、残念ながら未だに克服はできていないです。こんな最後まで頼りなかったサブについてきてくださった皆さまには感謝してもしきれません。
そして、4年生。
正直、下級生の頃は学年が上がるにつれて楽になるんじゃないかなんて浅はかなことを考えていましたがそんなことは全くなく、最後の1年はかなり思い悩み、辛いことも多かったです。
器材管理責任者という役割を任され、責任者になったからにはきちんと責務を全うしようと意気込んでいましたが、なかなか上手くはいかず頑張ろうとすればするほど空回りして、器材管理を担ってくれている下級生には多くの負担を強いてしまったと思います。
頭が固く不器用な性格のせいで細かい期限や報告にもいちいちうるさく、時には厳しい言葉をかけてしまったこともあったと思います。結局は途中で心が折れ、どれもこれも中途半端になってしまった気がしていてつくづく自分は人の上に立つべき人間じゃないと痛感し、いつまで経っても不甲斐ない自分が情けなかったです。それでもここまで部を辞めずにやってきたのはこの部が、部員のみんなが好きだからです。
誰かの為に一生懸命になれる熱い心を持ったみんなが、そしてそんなみんなが全力を捧げるこの部が好きです。
決して順風満帆ではなかった4年間。辛いことの方がもしかしたら多かったかもしれないし、私が部に何か貢献できたかと言われると正直その自信もないです。それでも私はこの4年間、最高の仲間と共に全力で走り抜けられたこと本当に幸せでした。
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同期へ
4年間本当にありがとう。長いようであっという間だったね。
4年間辛いこと、嬉しいこと本当に色んなことがあったけれど、みんなと過ごした日々は私にとって本当にかけがえのない宝物です。これを書きながら思い返していると涙が止まらなくなってしまいました。私が4年間やってこれたのは間違いなくみんなのおかげです。当たり前のようにあったみんなとの日常があと少しで終わってしまうのはとても信じられないけれど、あと少し、大好きなみんなと過ごせる日々を大切に良い思い出を作りたいです。
Y.Jへ
毎日のように時刻表を送り合って、エスカレーターとLINEする日々が終わってしまうのはとても悲しいです。いつもくだらない話に付き合ってくれてありがとう!!君のおかげでとっても楽しい日々でした🤩
家族へ
離れていてもいつも1番の味方でいてくれて、応援してくれてありがとう。心配をかけることも多かったと思うけど、なんとか無事に引退できそうです。
羨ましいくらいポジティブでいつも元気づけてくれるお母さんも誰よりも家族思いで優しいお父さんも大好きです。小さい頃からやりたいことを全部やらせてくれて本当に感謝しています。これから沢山親孝行ができるように頑張ります。
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この4年間、応援を通して本当に沢山の貴重な経験をさせていただきました。
先輩方、同期、後輩達、コーチの皆さま、家族、そして何より頑張る理由をくれた體育會の方々、本当にありがとうございました。