2024.11.16
吹奏楽団Yu.S
こんにちは。S.Yです。
1年の留学を経て復部させて頂きましたが、代が変わり部の雰囲気がガラリと変わっていました。進化した、”若き血滾る”應援指導部は今まさにここにあると思います。
この引退ブログを書くために思い返してみると、色々と蘇ります。1年生の時、初めてチャンスパターンの生合奏を練習で聞いた際は感動の余り、目に涙が滲みました。大好きな応援には全身全霊を懸け、必死に外野席から声を張り上げた結果、感極まり嬉し涙や悔し涙を何度も流しました。定期演奏会では、本番中胸が一杯になり、舞台上で1人大号泣し、譜面が全く見えていませんでした。なんだか沢山泣いてますね。でもそれだけ心動かされる瞬間で溢れた1年目でした。単純に、どんな経験にも人一倍心動かされながら、憧れの應援指導部での日々を過ごしていたように思います。
しかし勿論楽しいことばかりではありません。想像以上の楽器の難しさに、幾度となく心は折れました。高い技術力で部に貢献する同期への劣等感は凄まじく、地に足つかず、彷徨う日々。周囲に頼り、その場をやり過ごす自分はまるで空気のような存在。活躍していく同期や後輩の横で、いてもいなくても変わらない自身の不甲斐なさに悩む日々が続きました。
「現状維持は退化である」
そんな中、ある偉大な先輩が何度も仰ったこの言葉。それは私の胸に刺さり、突き動かしました。できないことの方が多かった当時から少しでも変わりたい。その一心で挑戦したコールリーダー(CL)。コロナ禍の野球応援は無観客だった為、巻き込む相手は部員のみ。それでも初めて白金台に立った時、緊張の余り足の震えが止まらなかったのを今でも覚えています。同じようにCLを務める同期や先輩の偉大な背中を追いかけながら、そこに自身の存在意義を見出そうともがいた日々。小さくも成長をしながら、何か手応えを感じられた時には、これまでとは違う大きな喜びを味わいました。そして先輩や同期の前向きな言葉、自身の掛け声に呼応する観客の皆さんの言葉一つ一つが、曇りがかかった私の心を再び燃やし、前を向く原動力となりました。
「向き不向きより、前向き」
いつしかどなたかが残されたこの言葉も、私の背中を強く押しました。私はこの應援指導部生活の中で、正直、何度自身の無力さに呆れたことか、選択を後悔しかけたことか分かりません。しかし、どんな時も、目前の活動を愚直に楽しむことができる前向きさがあれば、その選択は自ずと最適解となっていくのだと思います。幸い自身はポジティブ思考な人間だったので、今となっては全ての選択が、自身にとっての最適解であったと信じています。
さて、ここまで読んで下さったみなさんはご察しかもしれません。私は應援指導部で、”あるモノの力”を強く感じながら、活動してきました。
それは「言葉の力」です。
「言葉の力」
応援とは、言葉が想いを紡ぎ、人と人を繋ぐことだと思います。
だとすれば、その本質に「言葉の力」がある以上、それは当然のことかもしれません。
しかし、應援指導部の日々において触れた言葉には、それを発する者の図り知れない努力や、一筋縄では行かない経験から滲み出る想いが込められていました。
先輩、同期、後輩、コーチの方の言葉は挫折しそうな私を救いました。選手の方々が試合後に語る言葉、ブログに残した言葉は、応援に臨む私の気を引き締めました。常連さんが掛けてくださる言葉は、自身の原動力そのものでした。
私が前を向き続けられたのは、間違いなくこの「言葉の力」に鼓舞され、支えられてきたからだと思います。
一方で、自身がみなさんのように、他者の心を動かす言葉を発してこれたかと問われれば、堂々首肯できるか分かりません。その難しさはこの部で十分思い知らされました。それでもどこかで誰かの心を動かせると信じて、この部を選び、尊敬する部員と日々応援をしてきました。
後輩の皆さんには、是非ここでの4年間を通じて、言葉に重みのある人になって欲しいです。それは應援指導部として最も必要な「他者の心を動かす力」そのものだと考えるからです。
長くなりましたが、最後まで読んでいただき、ありがとうございました。そして、これまで関わってくださった全ての方に、感謝申し上げます。
本当にありがとうございました。
最後に、私が大好きな相田みつをさんの言葉で締めさせて頂きます。※相田みつをさんの日めくりカレンダーを2つ、部屋に飾っております。
「いまから、ここから」
常に初心に帰らされる言葉です。