2024.11.16
チアリーディング部門Yuz.S
この度は弊部のブログに目を通していただき感謝申し上げます。本年度慶應義塾体育会應援指導部、部門副責任者、連盟常任委員、器材車管理責任者を務めておりますY.S.でございます。
私の代が應援指導部を去ると同時に二部門化という應援指導部の歴史の大きな1ページに実務として携わった代が去ることとなります。
難しいことは代表の土橋くんとかが書いてくれるでしょうから私は部の過渡期に旧リーダー部を志した身として感じたことを残そうと思います。
・「俺らみたいになるな」
尊敬する1-4の先輩が卒部に際して仰った言葉です。思えば先輩方を追い続けた四年間でした。
先輩方の入部動機は存じ上げませんが、エール指揮、リーダー指揮、塾旗掲揚、伝統の勝利の拍手といったものがその一つで無かったとは思いません。それら全てを禁じられてもなお「應援指導部員」として部に残り「誰かの為に」全力を尽くされた姿は私の心に深く刻まれております。
自らは陽が当たらずとも、体育会の選手の為、応援席で待つ塾員・塾生の為、そしてそんな彼らを慕う下級生の為、苦しい顔一つ見せず部を支えた2021年ご卒部の4名の先輩方。
どんなに苦しい状況でも歯を食いしばり、二部門の新たな時代へ移りゆくなかでも部に残すべきものを還元してくださった2022年ご卒部の5名の先輩方。
そして無礼を働いたにも関わらず、一番近くで我々を導いてくださった2023年ご卒部の3名の先輩方。
皆様一人ひとりに深く感謝申し上げます。皆様のご尽力の賜物で現在の部があると信じております。
「俺らみたいになるな」の解釈は人によって異なるでしょうが、自分は後悔を残すなという意味だと捉えました。誇らしい同期と立派な下級生を前に後悔はありません。私自身が先輩方に負けない立派な四年生へと成長できたかだけが気掛かりです。当時先輩方は何を思われていたのでしょうか。その答え合わせをできる日を楽しみにしております。
・「原点」
2017年に米国から帰国し、湘南藤沢高等部に入学した私は春の早慶戦で應援指導部に心を奪われ、入部を決めました。溢れんばかりのエネルギーを放つ学ラン姿に強い憧れを抱いた私は大学の應援指導部に入る日を心待ちにしていました。憧れるあまり自分の中で過度に神聖化していたのでしょうか、一連の不祥事報道、及びリーダー部解散のニュースには激しいショックを受けたことを覚えています。コロナ禍だった当時、オンライン英語塾を旗揚げし、友人と別事業にも手を伸ばそうとしていたタイミングであった為、入部を諦めようかとも思いました。それでも入部を決意できたのは、今でも最も信頼できるチア同期のKとJの言葉があったからです。
Mi.K.「Yは入るよね」
Y.J「スーザン(私のあだ名)が入るなら私も入る」
ずっと入る入ると言っていたのだから当然です。Kと私とは高校で野球応援について一緒に考えてきた仲だったので当然入るものと思って声をかけてくれましたし、Jはダンスサークルと悩んでましたが何を血迷ったかそんな言葉を発しました、もう実は決めていたのかもしれませんね。「いや、やっぱ悩んでる」なんて言えず「じゃあ入ろう」と答えた覚えがあります。むしろ、あっさりと背を押してもらえて嬉しかったのでしょうか。4年間、2人にお礼を言うべきことは沢山あるけどこれが一番だと思います。
・「憂いの篩」
応援や應援指導部の何たるかを語ろうと思いましたが、老兵は死なず、ただ消え去るのみです。ということで私が20年30年後に應援指導部のことを思い出せるよう、記録とさせてもらいます。
2021年秋の早慶第2回戦、4年生方の思いの丈を込めた応援。単純に4年生に優勝で卒部して欲しかった。
2021年定期演奏会第4部ステージ舞台袖、旧リーダー部四年生による自分が見た唯一のリーダー指揮(当時)。形容できない感情だった。
2022年春、神聖であったリーダー指揮の門戸を開き、応援指揮が神宮で躍動した姿(J)。そして続く旧リーダー部員の応援指揮、塾旗掲揚。感慨深かった。
2022年秋、早慶第二回戦の初回、塾旗付きを終えて内野スタンドに上がった瞬間打ち上がった早大・印出太一の満塁ホームラン。無感情。
2022年冬、高校同期がフェンシングの早慶戦で無双して勝利に貢献していた。高校同期は嬉しい。
2023年春、野球サブとして応援席を1から作り直す。応援席の景色は格別だった。
2023年5月、アメフト早慶戦中止、高校バスケ部同期など友達が多かっただけに悔しかった。
2023年6月、六旗総務、70年目となる「六旗の下に」を創り上げた。明治に入り浸り臨んだ六旗はただただ圧巻だった。@裏チ 今でも万年筆つかってます。
2023年6月、翌週のバスケ早慶戦。自身が10年近く取り組み、高校時代の3校合同合宿で関わった人の応援には思いがこもった。
2023年秋季リーグ戦、明治神宮野球大会。野球サブとしての集大成を日本一という結果で締め括れて感無量だった。特にこのシーズン、自分が朱雀を入れた回は必ず得点に結びついたということが嬉しかった。
2024年春、多くは語らないが、この時に助けになってくれた人の恩は一生忘れないだろう。
2024年秋早慶戦2連勝、苦しいシーズンで本間、水鳥、清原の四年生が見せた意地。この4年間が報われた気がした。
・御礼
引退ブログおなじみ、最後のお礼です。
旗手長と練責
お前ら2人と華のなんとやらになれるまで活動できて楽しかった。ありがとう。
野球サブ
1から応援席を作れる年に君らとできて楽しかった。ありがとう。
MK:高校時代には想像もつかない役割を共に担えたことを誇りに思います。
YT:君が一番必要な年に一緒にサブができて良かった。とりあえず最後まで頑張れ。
連盟常任委員
部の事情だのなんだので迷惑をかけたけど、2人のおかげで前当番校としてつつがなくできました。ありがとう。
全部門同期
総合練習の塾注で言ったことが全て。泣きそうになりながらの「なんで今年だけ」が最後に報われて良かった。みんな、ありがとう。
井上さん、長谷部さん
連盟で部内で、そして公私ともに苦しいとき、私を応援してくださり、ありがとうございました。元気付けからアドバイスまで全て活動の支えとなりました。心より感謝申し上げます。
連盟同期
お前らみたいな面白い奴らと出会えて人生楽しかったよ。ありがとうな。Wはデモ来い。
後輩
立派な應援指導部員になれ。お前らなら出来る。ありがとう。
先輩方
生意気な下級生でしたが皆様にお仕えできて楽しかったです。ありがとうございました。
体育会
応援に呼んでくださり、ありがとうございました。大学生活を部活動に捧げた皆様を応援できたことは私の財産です。
両親
毎日食事を作り、時には活動に送ってくれ、忙しいなか早慶戦には足を運んでくれたことを感謝しています。4年間ありがとう。
最後に應援指導部に関わる全ての皆様に心より御礼を申し上げます。
連盟常任委員 Y.S