2024.11.15
チアリーディング部門Mi.K
こんにちは。本年度慶應義塾体育会應援指導部応援企画責任者を務めております、Mi.Kです。
まず初めに、ここまで4年間支えて来てくださった、コーチの方々、先輩方、後輩たち、応援席にお越しくださる皆様、同期、そして体育会の皆んな。本当にありがとうございました。
「応援をする為に生まれて来たような、應援の申し子だね。」
一年生として入って間もない頃、当時の四年生が私に向けてかけて下さった言葉を今でもはっきりと覚えています。
慶應義塾大学應援指導部を卒部した父と母を持ち、同じく應援指導部で応援企画を務めていた姉を2個上に持つ私にとって、應援指導部という場所は憧れであり、同時に入る前からの私の居場所でした。
1年生、コロナ禍真っ只中で入部した私たちの最初の練習はもちろんオンライン。携帯の前でひたすらチャンスパターンを撮って同期でチェックしてまた撮り直して送る。その終わりのない日々の繰り返しで正直想像していた應援指導部生活とは掛け離れたものでした。初めて同期と顔を合わせたのは総合練習。わけもわからず平サブをして、喉から血が出るほど声を出しヘトヘトになって帰ったことや、初めてバンドの生演奏で若き血を踊り、感動で鳥肌が立ったことを昨日のように覚えてます。もちろん、斜めっている動画をあげてしまって終電まで帰れなかった夜や、記念館が閉まってしまいミニ青マットを抱えて帰った夜、ドライヤーを持参して雨でびしょびしょになったポンポンを全部部室で乾かした日も全部覚えてます。笑
2年生になって初めてのコールリーダーを任せていただけるようになり、毎回毎回当時野球サブや応援企画をやられていた上級生にアドバイスをもらいに行き、新しいことに挑戦させてもらえる応援が楽しくて仕方なかったです。
3年生になって徐々にコロナが落ち着いてきて、行ったことのなかった様々な応援にいけるようになり、それぞれのスポーツの魅力に気づいていくと同時に野球サブという重圧に押しつぶされそうになることもあり、応援が楽しいだけのものではなくなってきました。2019年以来の応援席復活で右も左もわからない状況からのスタート。自分たちが作ったシステムが上手く回らなかったらどうしよう。選手に届かなかったらどうしよう。観客席に来てくださる方から以前の応援の方がよかったと思われたらどうしよう。そんな重圧から帰り道にポロポロ涙が溢れてしまうことも多々ありました。そんな時、期待以上の気合いと技術で応援に臨んでくれる同期や、応援企画責任者のお三方、必死についてきてくれる下級生、応援席を全力で盛り上げてくださる常連の方々、そして応援聞こえてるよって言ってくれる選手みんなに助けられて、秋季リーグ優勝、明治神宮大会日本一という最高の形で野球サブを終えることができました。言葉で表せないほど嬉しかったです。
四年生になって、全体集合や総合練習で前で偉そうなことを言っている私ですが、いまだに応援の正解はわかりません。今自分が選んだ曲が、コールが最適なのか、すごい点差で負けてる時どう応援席を引っ張っていくのが正解なのか、部員のポテンシャルを1番引き出すことができる応援席とはなんなのか。経験や応援スキルを上げていくこと、自分の強みを知る事でいい応援に近づけることは出来てその時その時の選択が正解なのかはわからないし、正解があるのかも分かりません。
良く頭を使って応援しろとかロジカルな応援が慶應の強みとか言っている私ですが、実は勝ちたすぎて同期に呆れられるほど、ジンクスみたいなものを信じてます。絶対に勝ちたい時は自分なりに勝率が高いハーフアップをしてみたり、優勝Tシャツを着てみたり、神宮球場に踏み入れる足を決めてみたり、慶早戦前には気合い入れに二郎を食べてみたり、、、そんなバカみたいな意味あるのかないのかわからないようなこともたくさんしてきました。(元野球サブとの恒例気合い入れ二郎は2春3春3秋4秋と行った時の勝利100%行けなかった時の勝率0%なので絶対に意味はあります!笑次期野球サブも是非やってください🍜)
そんな中、私が4年間の応援指導部生活で導き出した私なりの応援への答えは、常に誰よりも選手を信じて勝ちへの執念を持つこと。あ今日勝てそうだなっていう小さな予感。この選手抑えてくれるだろうな、打ってくれるだろうなっていう予感。それを信じきって死ぬほど勝ちたいと思うこと。おこがましいかもしれないけど応援で変えられることは必ずあると信じること。
でもただ執念を持って勝ちを信じてがむしゃらに声を出せばいいのではない。体育会のみんなが人生を賭けて本気でしてきた努力に見合う努力を私たち自身が絶対に怠らないこと。選手が実力を実力以上に発揮できるような応援を作り上げること。来てくださった観客の方がまた応援席に足を運びたいと思っていただけるような慶應らしい誇れる応援席を作り上げること。
この4年間楽しいことばかりでは無かったし、応援の申し子という呼び名に相応しい応援が出来たとは胸を張っていうことは出来ないけれど、死力を尽くして誰かを応援する。そんな貴重な経験をさせてくれた應援指導部、又、自分が死力を尽くしてまで応援したいと思わせてくれた体育会の選手のみんなに感謝を述べて私の引退遺言とさせていただきます。本当に幸せでした。ありがとうございました!
PS 普段照れ臭くて文章で想いを伝えるのは苦手ですが、この場を借りて感謝を述べさせてください。
to お姉ちゃん
小さい頃からずっと後を追いかけてきて、遂にはここまで来ちゃいました笑
初めての神宮応援のときに全体集合で叫んでるお姉ちゃんを見て本当に鳥肌が立って心の底からかっこいい。絶対自分もその場に立ちたいと思いました。
結局サブ業務、役職まであとを追いかける形で野球サブ、応援企画責任者を務めることができ、お姉ちゃんとはまた違った色の応援席が作り上げることが出来たのではないかなと思ってます。
喧嘩することもチェック落とされて萎えることもあったけど下級生時代の2年間一緒に活動できて本当に幸せでした!
to Y.S
sfcの頃から神宮での応援に憧れて、応援指導委員会で見よう見まねで応援を作り上げようとちょっと違う塾生注目とかチャンスパターンとかを真剣にやってたの懐かしいね。
そんなYと野球サブを一緒にやって憧れだった神宮での応援を実際に0から作りあげて、自分たちが作ったシステムで応援を動かして、そんなことが出来るなんて夢にも思っていませんでした!
慶早戦の前に野球サブ3人で恒例の三田二郎を食べに行ったり、試合中最高の瞬間を分かち合ったり、汗水流して応援したり、たまには言い争ったり、全ての瞬間がかけがえのない宝物です。
to体育会の仲良し達へ
応援のモチベーションでいてくれて本当にありがとう。10年来友人の大好きな君たちが体育会にいてくれたおかげで応援に行くのが楽しくて仕方なかったです!
「珠和応援きてくれるとまじで頑張れんだよね!」「応援ありがとう!」「声届いたよ!」そういう言葉ひとつひとつに何度救われたかわかりません。
to両親へ
應援指導部という素敵な場所に導いてくれてありがとう。慶應に、この部に入らなかった人生なんて想像できないくらい応援にどっぷりな学生生活を送らせてもらえて本当に幸せでした!4年間支えてくれてありがとう!