2024四年生引退ブログ

2024.11.14

チアリーディング部門Y.U

本年度慶應義塾大学應援指導部チアリーディング部4年のY.Uと申します。

 

「憧れ。」
その一言で飛び込むにはあまりにも辛くて苦しい場所でした。
辛い。逃げたい。そう思ったことは数えきれないほどあります。でも、辞めたい。そう思ったことは4年間で一度もありません。

まずはこの1年間、弊部の活動にご支援、ご尽力いただきました皆様に感謝申し上げます。

 

引退ブログが大好きな私は、毎年各部活の引退ブログを片っ端から読んで、知らない人の文章に泣かされたりしていますが、まさか自分が執筆をする立場になるなんて思いもしませんでした。頭を悩ませながら私の4年間を簡単に書き出してみましたが、簡単にと言いつつ、書き始めたらどんどん想いが溢れきて、何も削れませんでした。拙い文章ですが、目を通していただけますと幸いです。

 

幼少期から、勉強でもスポーツでもやらせてみたら人よりできる。褒められるのが嬉しくて努力を重ねる。そういうぬるま湯みたいな人生を送ってきました。そんな私が人生で一番の挫折を味わったのがこの4年間でした。

5つ上の従姉が六大学の応援団に所属をしていたこともあり、応援団というものにはずっとほのかな憧れを抱き続けていました。しかし、同時にそれがどれだけ過酷な世界であるかということは常々耳にしていたので、私にはきっと無理だとずっと背を向け続けてきました。そんな中、一貫校生として足を運んだ野球の慶早戦。初めて見る應援指導部の応援に、今までぼんやりとチアリーダーってかわいいな~と思っていた私は、頭を殴られたような衝撃を受けました。應援指導部が語り掛ければ雰囲気が瞬く間に変わる観客席。劣勢の状況で客席が静まり返る中でも響き続ける声援。そして、どんな時でも勝ちを信じて疑わない瞳。人って言葉ひとつでこんなに他人の心を動かせるんだ。衝撃的でした。今まで甘ったれた考えを持っていた自分が恥ずかしくなりました。そしてその瞬間、どれだけ厳しい道であってもここを選ぼう。そう心に誓いました。その時私が憧れを抱いた皆さんが、私が1年生の頃の4年生方です。高校3年間憧れ続けた方々と皆さんの最後の1年間を共にできたと思うと、こんなに光栄なことはありません。

そんなこともあり、應援指導部に入部する。大学入学以前からその道以外は全く考えていませんでした。しかし、今まで何かを否定されたことなんて一度もないのに、なぜか應援指導部に入部したことだけは、母にずっと言い出せませんでした。私が入部をした頃はコロナ期間真っただ中。練習はすべてオンライン上でした。母に言い出せないままどんどん時は過ぎていき、最終的に言い出せたのは初めての練習が始まる5分前。「私應援指導部入ったから!」そう言い捨ててリビングでいきなり練習に参加をし始めた私を見て、母はきっと心底驚いたことだと思います。

踊りが苦手なのはわかっていたので、入部前にチャンスパターンの動画を入手し、見様見真似で全曲覚えてみるところから始めました。しかし、入部当初の動画を見てみると何一つ合っていないので、何をどう覚えていたのか本当に不思議に思います。その後も同期、上級生方には沢山ご迷惑をおかけしました。沢山沢山ご指導いただきありがとうございました。一年生のころから、今になってもまだ踊りのアドバイスをくれ続ける同期たちには本当に頭が上がりません。大丈夫だよ、一緒に頑張ろう。動画送ってくれたら見るよ!その言葉に何度救われたかわかりません。沢山支えてくれて本当にありがとう。

ピアノを15年間習っていたにもかかわらず、びっくりするほどリズム感がないので、感覚ではなく構造的に捉えようと思い、1カウントをさらに3分割して考えてみたり、踊りが上手い人と自分の踊りをコマ送りで見比べてみたり、色々とアドバイスをもらいながら試行錯誤は重ねてきましたが、最初の頃は本当に踊ることが苦痛で仕方がありませんでした。初めて楽しい!と思ったのは、応援活動で踊ることができた時だと思います。先ほどから辛いとしか言っていない気がしますが、練習に追われ続ける日々の中で自分の居場所を見つけられたのが応援活動でした。私が入部したころはまだ新型コロナウイルスが蔓延しており、応援活動どころか対面練習すらありませんでした。一番最初の応援活動は、硬式野球の東京大学戦の配信をZoom越しにみんなで観戦したことだったと思います。その後、少しずつ活動が戻ってきたものの、応援が許可されているのは硬式野球だけ。それも、マスク着用は必須で外野席に私たちだけが隔離されている状況でした。最初の頃は選手に声が届いているのかも、応援が果たして何か力を与えているのかもわからず、ただ大好きな上級生に褒められたいがためだけにがむしゃらに声を出して、速くなる鼓動を感じながら子没出しをして、毎試合喉をつぶしていました。元々声は大きい方なのですが、めちゃくちゃ声出てていいね!今日の応援最高だったよ!そういわれる為だけにただただ大声を出し続けていました。そんな中、ある日こんなことに気が付きます。勝てると心の底から信じて疑わなかった日は必ず勝てるし、逆に少しでも負けが頭をよぎったら必ず負けてしまうと言うことです。これが初めて応援の意味を知った瞬間だと思います。そこからは、いかに勝つことだけを信じられるか。応援の本質を少しわかったような気がしました。

 

応援してて楽しいの?そう言われたことは一度や二度ではありません。確かに毎日こんなに練習して、バイトも遊ぶ余裕すらないほど部活動に大学生活を捧げても、数字であったり賞であったり、何か目に見える形で自分たちの頑張りが返ってくることは一度もありません。私たちは常に脇役で、自分たちが主役になれることは一度もありません。応援なんてなくても勝てた試合だったのかもしれません。正解なんて何一つわからない中で、「応援があったから頑張れた。辛かった瞬間も声が聞こえたから踏ん張れた。」その言葉だけを糧に4年間走り抜けてきました。辛い局面を切り抜けられた瞬間、会場にいる全員が同じ思いで声を出している瞬間、そしてその先に待っている若き血滾る最高の景色。あんなに輝いてる景色を今まで見たことはないし、これから出会えるとも思えません。応援してて楽しいの?楽しいに決まってます。

 

あと2つ頑張ったことがあります。部の再建活動と塾旗です。再建活動に関しては、どうやったら部をより良くできるか、どうやったら全員が誇りに思える部を作れるか。それだけを考えながら毎晩毎晩日付が変わってもミーティングをし続けました。答えがない再建活動において、自分の進む道は真っ暗で、いつまで続くんだろうと思ったこともあります。でも、自分と同じ気持ちを持った仲間がいたこと、そして過去に悔しい思いをされながら引退されていった先輩方の涙を常に思い出しながら歯を食い縛りました。2個上の三将のお三方はいつまで経ってもずっとずっと私の目指す道です。この経験があったから、部に組織として真っ直ぐ向き合うことができるようになったし、みんなで部の未来を試行錯誤し続けたあの時間は本当にかけがいのないものだったと思います。あの時創り上げたものがこの先何十年も続きますように。そしてまた試行錯誤を重ねて、更に部員全員が誇れる部活動になりますように。

塾旗に関しては、球場で掲揚されている上級生を見て、私も揚げてみたい!少し軽いかもしれませんが、そう思って始めました。しかし、大学から塾旗をお借りしていること、何かミスをしてしまったら取り返しのつかないことになってしまうこと、誰にも助けてもらえない自分の力だけで勝負しなければいけないこと。何回球場で掲揚をしてもあんなに緊張する瞬間は他にありません。バランスを崩して走馬灯が駆け巡った経験もあります。腰痛持ちなため、掲揚後に歩けなくなったこともあります。でも、慶應義塾を代表して自分が掲揚している瞬間、自分のことをとても誇らしく思える瞬間です。

 

誰かのために死ぬ気で頑張る力。これは應援指導部だからこそ得られたものだと思います。誰かの頑張りに嬉しいと涙をこぼし、誰かの頑張りに悔しいと涙をこぼす。こんなに素敵な価値観を得られたこと、私はとても誇りに思います。この4年間何百試合にも足を運び見てきた全ての景色を私は一生胸に刻んでこれからの人生を歩んでいきます。

 

辛いこと、苦しいこと。楽しいことの非にならないくらいあったかもしれません。でも、この部に入部したこと、その選択を疑ったことは4年間で一度たりともありません。體育會のみんな、今まで応援させてくれて本当にありがとう。あんなに輝いている景色を見させ続けてくれて本当にありがとう。みんなの頑張りが私のモチベーションの全てでした。入部以前に戻ったらもう一度入部をするか。綺麗事ばかり言っていられません。正直悩むと思います。もしかしたら、バイトに勉強に遊びに、もっと違う大学生活が待っていたのかもしれません。でも、この4年間を振り返って、綺麗事ではなく、ものすごくものすごく悩みながらも私は必ずまた同じ選択をすると思います。

 

最後に家族へ
大きなカメラを担いで全試合一番乗りで観に来てくれる、どんなに帰りが遅くてもご飯を作って待っていてくれる、どんなに朝が早くても一緒に起きてくれる。恥ずかしくてあまり言葉にできていませんでしたが、母、そして家族の支えがなければ絶対にこの4年間を終えることはできなかったと思います。試合が始まる数時間前には会場についている私と同じ時間に家を出ていたときには思わず笑ってしまいました。今まで支えてくれて本当にありがとう。

 

憧れの中に飛び込んだこと。大学4年間の全てを捧げてがむしゃらに頑張ったこと。最高の選択でした。この部の一員になれたこと、一生の宝物です。今まで支えてくださった全ての方に改めて御礼を申し上げます。これから先、應援指導部が更に素晴らしいものになっていきますように。

 

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