2024.11.14
チアリーディング部門R.I
こんにちは。
慶應義塾体育会應援指導部、令和6年度応援企画、育成、旗手、鼓手責任者を務めております、R.Iです。
まず初めに、各体育会、関係者、応援席の皆様、部長先生、コーチの方々、先輩方、後輩たち、そして同期、日頃より沢山のご支援をいただき誠にありがとうございました。皆様の支えなくしては私がここまで活動を続けることはできませんでした。改めて感謝を申し上げます。
引退ブログリレーのトップバッターを務める私ですが、話が脱線しすぎぬ様、なるべく簡潔にまとめますのでどうかお付き合いください。(以下、早慶戦前に記載)
4年間を振り返るという表題ですが、いきなり皆様に質問です。「応援によって勝利をもたらすことができますか?」という問いに対し皆様はなんと答えるでしょうか。
私はこの質問をされたことがありますが、正直すぐに首を縦に振ることができませんでした。應援指導部員たるものまた本年度でいえば応援企画責任者たるもの「応援で試合を動かしてやる!」というそうあるべき私と、「試合をプレーするのは選手、我々にできるのは応援席を盛り上げることだけ。」という妙に論理ぶった私が混在しているからです。多くの応援部、応援団には、「試合に勝ったのは野球部の実力、試合に負けたのは応援が足りなかったから」という哲学が存在します。しかし、今日の応援が良かった、悪かったということは定量的に判断できず、気合と根性をモットーとする高田馬場の某W大学と異なり、福沢先生の云うサイヤンスを取り入れる我が義塾としてはその在り方をコロナ禍以降悩み続けてきました。私の好きな先輩の言葉に「早稲田は一球入魂の精神で根性をもとに熱量のある練習を。対して、我々慶應義塾は伝統に拘らず、科学的で合理的な練習を行う。早慶どちらのスタイルが正しいのか年に一度確かめる場がこの早慶戦である。」と。そもそも、応援は本当に選手に影響を与えるのでしょうか。そんな哲学的な問いに対し、私が高校時代含め7年間の應援指導部人生で研究してきた応援指導のコツを書きながら、答えを探りたいと思います。
① がむしゃらさと冷静さ
応援において最も大切なものは熱量です。頑張っている部員と、大量の汗を流しながら必死の表情で頑張っている部員がいた場合、後者の方が応援席の皆様に声を出してもらいやすいと思います。よくプロの一流選手は周りを圧倒するオーラを持つと言いますが、応援のプロを目指す應援指導部員としては、応援席の方の心に響く様な熱量のある声がけを行うべきです。ただ、その一方で冷静さも必要です。応援席において多くの観客の皆様を先導するために、応援席には多くの役割があります。部員は熱く盛り上げながら、冷静に己の役割を全うすることが求められます。
② 対象を意識する
應援指導部において求められるスキルの1つがコミュニケーション力です。応援は人の力で作り上げるものであるため、應援指導部員と応援席の皆様との信頼関係の構築が必要となります。そのため、部員は試合前に応援席の方に挨拶をしてコミュニケーションを図ったり、試合中も積極的に話しかけて笑顔にさせたりしています。慶應義塾の応援が楽しいと言われる所以は応援席の皆様との会話に特化した練習に拘って取り組んでいるからではないでしょうか。
また、対象を意識するという点についてですが、私の尊敬する先輩曰く「人に話しかける時には、1人に話しかけるのか、複数人か、1ブロック全体か、という点を意識することが大切。対象を意識して話すことで、声量、表情、体の向きなどが無意識のうちに適切なものとなる」とのことです。
慶早戦でも部員とのコミュニケーションにご注目ください。
③ 常にポジティブに自分たちの応援を
最初から最後までただ叫び続けることは慶應義塾の応援ではありません。それでは段々と疲労が溜まり右肩下がりの応援となってしまいます。慶應義塾の応援は、プレーの結果、試合展開を意識しながら、勝負所を見極めた応援だと考えております。應援指導部では慶應義塾の43体育会のうち30以上の部の応援に伺うため、初めて観戦する競技で応援指導を行わせていただくこともしばしばあります。そのため、体育会の方と打ち合わせをしたり、先輩の応援資料を読み漁ったり、なんとかいい応援を作ろうと努力するわけですが、そういった競技では応援文化があまり無いことも多く、応援に苦戦してしまいがちです。しかし、そういった競技者が少なめな競技こそ應援指導部としての伸び代であると私は常に考えております。また、こうした競技こそ応援にすごく前向きな方が多く、神宮野球以外の多くの応援に参加してきた自負がある私のやり甲斐の1つとなっております。体育会に寄り添う、競技性を理解した応援を作ることは前提です。ただ、應援指導部らしく、人気漫画でいうところの「シロートだからよ」の精神で点差に関わらず勝ちを信じ続ける応援を行うことが我々の存在意義に繋がると考えております。
昨夏の甲子園での若き血の大合唱、昨秋の大学日本一の応援風景はYoutubeなどで沢山視聴することができます。そちらに対し、やりすぎだ、選手が可哀想、スポーツマンシップがないなどの声が出ました。今の時代、世の中の全員から最高の応援だ!という評価を得る応援を築くことは正直言って不可能です。しかし、これは当然のことで、試合には必ず勝者と敗者がおり、勝った応援席は最高の気分、負けた応援席は最悪の気分(私はそうです)になるため、全ての人を一様に喜ばせるのは難しいことです。
早慶戦前の先日、早稲田大学のある方とお会いする機会があり、
「早慶戦、勝ちに驕らず、負けに腐らず、最後まで相手の健闘を讃えよう」
というお言葉を頂戴いたしました。私はこの言葉に深く感銘を受けました。
今季の東京六大学野球、慶應義塾は本当に苦しいシーズンでした。私の代は幸いなことに、1年生は春秋連覇、3年秋は日本一と、常に優勝争いに絡んできましたが、今季ほど1勝や1点が遠いシーズンはありませんでした。一方、早稲田は昨年頃から力をつけ、今春は圧倒的な力を見せつけての優勝。今秋も早慶戦で1勝すると優勝というところまで来ております。その早稲田大学の方からこのようなお言葉が出たのが意外でありました。早慶戦は単なる順位争いの一戦にあらず、早慶120年超の伝統ある対抗戦ということを感じ取れるものでした。
春から順位が下がろうと、誰がなんと言おうと、塾野球部、應援指導部、そして応援席は春よりも進化しています。1点の重みへの意識は確実に早稲田よりも高いです。1勝に対しての部員、応援席の熱量と一体感は例年以上に高めることができました。
本題に戻りますが、圧倒的な応援は球場の雰囲気を確実に動かします。そして、動いた雰囲気は選手のメンタルに影響するはずです。ただそれは、相手を罵倒するような影響の仕方ではなく、慶應義塾、早稲田ともに最高のプレーをすること、試合中は敵でも試合前後は伝統を紡ぐ仲間として讃えあうという、スポーツマンシップのある影響であるべきです。早慶戦の試合前、早慶両校内外野応援席で歌われる早慶讃歌は「讃えよう、声高らかに」という歌詞で始まります。相手の良いプレーには拍手を、義塾の気迫あふれるプレーにはさらなる拍手を行い、球場にお越しいただいた全ての方に気持ち良く帰っていただく応援を目指します。このブログが投稿される頃には早慶戦は終了していると思いますが、私の思い出作りではなく、最後まで野球部の勝利を信じて応援し抜くことを誓います。
最後に「応援によって勝利をもたらすことができますか?」という問いに対し、今の私はこう答えます。
「応援に勝ち負けをつけることはできないので、応援によって勝利をもたらせるかどうかは分かりません。ただ、試合前後のエール交換、早慶戦特有の全てのイベントが両校の絆を育んでいます。だからこそ、慶應、早稲田ともに最高の応援をすることで、選手が最高のプレーをできます。」
2024年11月7日
R.I
(早慶戦終了後に追記)
2連勝しました!この代で2連勝、野球部も四年生が躍動し、勝利。もう悔いなく神宮を引退できます。応援席の熱気は昨年に負けておらず、苦しいシーズンだった分、1点への感動は昨年以上のものがありました。皆様、今までたくさんありがとうございました!!