学⽣スポーツが盛んな時代であり、早稲⽥⼤学から挑戦状により第⼀回早慶戦が⾏われる
早慶戦にて初めて組織的応援が⾏われる
両校の応援⽩熱により1925年まで早慶戦中断となる
若き⾎誕⽣
応援部結成
戦場に赴く慶早両校の野球部員や学⽣たちの最後の思い出として早慶戦をぜひ実現したいという願いから「最後の早慶戦」が⾏われる
プロ野球に先⽴ち、戦後初の公式野球戦として神宮球場にて六⼤学OB紅⽩戦が⾏われ、早慶両校の選⼿のみの試合では約四万五千⼈の観客が埋まった
応援部から「応援指導部」へ名称変更
東京六⼤学連盟発⾜
應援指導部内にブラスバンド結成(現吹奏楽団)
應援指導部内にバトントワリング部設⽴(現チアリーディング部)
詳しくは、「慶應義塾⼤学応援指導部75年史」へ